無意識日記々

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唐突に全く関係の無い話。

「あさが来た」が終わったら「とと姉ちゃん」が始まるのか〜。高視聴率番組の次の第1回はただでさえ視聴率が高いというのに久々の宇多田ヒカルの新曲が聴けるとあっては。その後は必然的に視聴率が下がる。で叩かれる。これを無視すればいいのだが、怖いのは二次被害だ。その叩いてる人の言葉を読んで「そうか、つまらないのか」と思う人がどうしても出てくる。そうなると無視出来なくなってくる。

これは総ての分野で言える事だ。元々は2ちゃんねるのような「匿名だからこそ書ける叩き芸」みたいなもので、よく言われるように「便所の落書き」だった。なので読む方もまるで真剣に取り合わなかった。そりゃ人間機嫌が悪くて何の根拠もなしに当たり散らしたくなる事もあるよね、と。いっても飲み屋のくだまきトーク程度の認識しかなかった。

昔はそれでよかったのだが、徐々に多くの人々がインターネットに親しむにつれ状況が変わってくる。「便所の落書き」の芸風の文章がまとめブログやSNSポータルサイトのコメント欄などでいつのまにか「ひなた」に出てくるようになったのだ。流石に昔からインターネットに親しんでる層は相変わらず取り合わなかったのだが、「木訥な一般市民」の皆さんは「そうなのか」と信じてしまう。そしていつのまにかそれが「ネット世論」として認知されるようになってきた。今やその規模は数十万人レベルから数百万人レベルへと移行し、そろそろ旧媒体(新聞雑誌テレビラジオ等々)と変わらなくなってきている。

しかも、インターネット"のみ"にアクセスするのは10代の若者たちだ。大人であれば自分でアフォードして多様な意見を取り込めるがインターネットは“無料”という金科玉条がある。彼らの読むオピニオンは、我々の世代が「便所の落書き」といって相手にしなかった愚痴芸の塊であり、必ず彼らの中でそれをシリアスに受け取る層が出てくる。こちらからすれば「そんな事を信じているのか」というような信条を掲げてくるんじゃないかと危惧している。まだ大きな流れにはなっていないが、可視化される頃にはもう遅い。


非常に単純な話で、「言わなければ伝わらない」のだ。極々々々当たり前の事をストレートに言い続ける。これをしないと若い層には伝わらない。内容はありきたりで構わない。言って伝える事が大事だ。

大人の方は大人の方で、生きていくうちに「勝手知ったる間柄」としか付き合わなくなるから当たり前の事をわざわざ言う機会など全くなくなる。ZABADAKなんぞコンサート中曲名をコールするのは2,3曲だぞ。ファンが鍛えられ過ぎていてイントロ流せば、いや、時には楽器を構えた時点で次が何の曲かわかるからだ。そこまで練度が上がるのは素晴らしいが、若いファンには敷居が高いだろうな。


こういう「世代間格差」はどの時代にもあった事だが、インターネット世代に特有なのは「実世界で暇なお陰でインターネットへのアクセス機会を稼げる層」が突出して目立つ事だ。極端なノイジー・マイノリティの偏重である。これに対してバランスをとるのは難しい。実世界で忙しい人はネットで自説を延々展開したりしない。しかし、読むだけならどれだけ忙しい人でもある程度可能だ。この非対称が今後どうなっていくか予想もつかない。取り敢えず、当たり前過ぎる事を素直にシンプルに表現する事を厭わない事が重要だ。「宇多田ヒカルは歌が上手いんだぞ」みたいなね。でも、やっぱり暇人にはかなわないんだよねぇ…。