無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

夏の #真夏の通り雨

こうやって蒸し暑い日々を過ごしていると、この後梅雨が明けて本当の真夏がやってくるのだなぁ、という予感が沸々と沸いてくる。そう、『真夏の通り雨』のある初めての夏が、やってくる。

折しも、でも何でも無いけれど、今年から8月11日が「山の日」として休日となった為、何だか日本のお盆の風景が少し変わりそうだ。休みが一つくっつくだけで、連休を取る人も増えるのだろうかな。

「真夏」というと、日本だと灼熱とか真っ盛りとか、そんなイメージだろうか。人によっては高校野球に風鈴に西瓜とか、そんな風景を思い浮かべる。サザンやTUBE、なんて言う我々はおっさんおばはんだろうか。人それぞれの真夏があるけれど、『真夏の通り雨』のそれは、ひたすらにお盆の時期を言うしかない。

かく言う私も同時期に(2日違いで)祖母を亡くしているので、どう言ったものか、似た時期に似た気分になるのかもしれない。いや、こちらは大往生だった(100歳ですから)ので、悲しいというより「お疲れさまでした」とかそういう気持ちなので、当時『後悔の念が募るばかり』と言ったヒカルの気持ちとは寧ろ正反対くらいに捉えた方がいいかもわからんね。

祖母とは近所(ってほどでもないか、車で5分位)だったので、学校帰りに茶飲みに足を運んだりといった感じで接していた。私は老人と茶を飲むのはお手のもので、そう考えるとこの喋り始めると止まらない性格がいちばん似ていたのは祖母かもしれない。兎に角快活でよく喋った。その割に照れ屋で礼儀正しい性格だったので下品な感じはなかったな、そういえば。歯切れのよい働き者で、私が3歳の時に「甘いお菓子より塩辛いものの方が好きだ」と言ったら何故か嬉しそうにしはってて、はて、何がそんなに良いのだろうと思っていた。目の前には甘い和菓子がたくさん並んでいた。


…しまったな、こういう日記は2ヶ月にとっておけばよかったかな。ヒカルも、でも、きっと、同じ時期に故人を偲ぶのだろう。『悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。』という一文は、いつ読んでもぐっとくる。愛息もすくすくと育ち、そろそろヒカルも笑って思い出話を語れるようになっているだろうか。たとえなっていたとしても、日常のふとした瞬間に、母がもう居ない事を思い出して悲しくなるかもしれない。それだけでも遣る瀬無い。身の置き所が見当たらなくなる程に、切ない。

真夏の通り雨』は、相変わらず救いだ。一言で言えば慈雨である。どんな感情も、歌として掬われたら救われる。それしかできない、そうとしかできないとも言えるんだが、「声が出るから歌える」という身も蓋もない物理的理由と身体性を呼び醒ます時、やっぱり思い出の中だけでは生きている事にならないと気がついて、愕然とする。その絶望もまた歌に掬い取られる。『思い出たちが ふいに私を 乱暴に掴んで離さない』―嗚呼、その表現の見事さに言葉もない。私は、未熟だ。


真夏が来る。夏至を通り抜けて、日本のあの蒸し暑い夏がやってくる。この歌と共に初めて迎える日本の夏。確かに心を、私や貴方や誰かの心を、ぎゅうっと締め付ける。