無意識日記々

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玉音と珠玉音

今日は天皇による"21世紀の玉音放送"があったと。まだ聞いていない。聴くのが楽しみだ。

これに関しては、政治的な関心でもない。天皇家が発する"お言葉"というのは、あらゆる方面に対して配慮の限りを尽くす。その"あらゆる"っぷりが、他では全くみられない程のスケール感なのだ。

例えばヒカルは、フォロワー200万人、テレビで取り上げられれば数千万人という単位の人間に対してツイートやメッセージなどを発信する訳だが、それはもう、今までの数々の反応から鍛えられた"自動配慮"を駆使した言葉の選び方をする。キンタマツイートだってその本能に基づいた言葉のセレクションなのだ。ほんまかいな。

しかし、ヒカルのような人間であっても、天皇家が背負わねばならない「配慮の範囲」にはかなわない。かつてここまでデリケートな作業があっただろうかという位に言葉が選び尽くされた挙げ句に並べられた文章の数々は、歴史的な価値を一切抜きにしても、相当な文化的価値をもつ逸品に仕上がる。要するに、極度に洗練されているのだ。

俳句や短歌、詩の数々、そして歌詞もだが、吟味に吟味を重ねた言葉の塊というものはそれが自ずと美しさを放ち始めるから興味深い。ヒカルの書く文章も、時にえもいわれぬ美しさを感じさせる事があるが、それはあの天才がPCに向かって何時間も推敲を重ねてくれてきたからだ。更にもっと時間をかけてきた歌詞に至っては、今や『真夏の通り雨』のレベルまでやってきている。最早歌詞だけでも芸術品の域だ。

それでも、天皇家からのメッセージは参考になると思う。何故そんな言葉の選び方をしたのか、何故そんな言い回しなのか、ソレに言及してアレに言及しないのはどうしてなのか、キリなく問答を続けられる。繰り返すが、配慮に対するプレッシャーが桁外れなのだ。細心の注意を払って構築されている。今回の動画でも、その匠の技を堪能できると期待している。

また、天皇の朗読力にも注目だ。彼は、ただ読み上げるだけでは勿論無い。声の仕事をしてきた訳でもないが、しかし、彼のように朗読するのは本当に難しいだろう。ある意味、物凄い技術なのだ。常田富士男だって一目置くに違いない。勿論皇室発信のメッセージを読む以外の事をする場面にあまり出会さないので、声優のように幅広い芸風という訳にはいかないが、ことこの路線に関しては他の追随を許さない。同じ立場の人が居ないんだから当たり前なんだが。

そういう風に考えていくと、ヒカルの書く歌詞が如何に練られているかがわかる。極端な話、地球人全部、70億人全員に配慮しなけれならない皇室が発するメッセージよりも、更に洗練されているのだから。…ってそれはあクマで私個人が勝手に見立てた評価に過ぎないけれども。そんな歌詞を、我々は耳にしてきた。7週間後には、それが何曲もいっぺんに手に入るのだ。いまのうちに言葉の選択に関する感性を研ぎ澄ましておくべき、かな。いや、芸術品までいってしまったら、別に微に入り細を穿つような聴き方をしなくとも、直線的なインパクトで圧倒してくれるかな。とまれ、いろんな事を考え感じながら日々生活しヒカルの書く歌詞の価値を深く立ち入って見定めるというのも、歌の楽しみ方のひとつとしては、あるかもしれないぞ。心して係ろう。