無意識日記々

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「実話じゃないの?(Not In The Real)」

今回も「歌詞は実話ですか」というよくある問いに対して『そんなわけない』といつもの返しをしているヒカルパイセンでありますが、これって両面あるものでして。

今回特に目についたのが(ってツイッター検索しただけだけど)、『BADモード』の

『今よりも良い状況を

 想像できない日も私がいるよ』

の一節に対する反応の数々。一言でまとめれば「泣けた」と。うんうん。

どうしてこういう反応が来るかというと、ヒカルにそういう風に優しく話し掛けられていると思えるからだよね。これを“歌詞の中の(誰ともわからない)登場人物の台詞”として捉えてたらとても泣けるとかにはならない。テレビドラマや連載小説なんかでそこに至るまでの長々としたプロセスを共有してるとかならまだしもね。アルバムが始まってまだ3分5秒しか経っとらんのよ。なのでそこで何かを共有してるとすれば、今までヒカルの歌声と共に過ごしてきた何年間何十年間の日々の方でしょう。

つまり、ここで大切なのは、宇多田ヒカルという人が、その人自身として、その人の心の表明をこの場面でしてくれているとリスナーの方が受け取ることなのだ。でないと心に響かないっしょ。これは、歌詞の言葉が実際に生きているヒカルさんと結びつけられて捉えられているから起こること。

これって「歌詞を実話と捉える」ことと地続きになってる。というかほぼそのまんまかもしれないな。単なるお話、フィクション/虚構、ファンタジーとして歌詞を捉えるなら、ある程度そこでの登場人物に感情移入してないといけない訳で。(…昔アニメ「けものフレンズ」の魅力を語るときに「王道の(時に陳腐ですらある)寓話的物語も、登場人物に感情移入することでリアリティをもって受け止めることが出来る」と熱弁を振るった記憶…)

なので歌詞が実話かどうか気になるのは、そこでずっと生きてきたヒカルさんが生身で歌っているからで。ヒカルさんへの感情移入が出来るかどうかってのが大きなポイントになってくるのよ。『そんなわけなくて』と言いたくなる気持ちは痛いほどよくわかる(恐らくその手の追及は突き飛ばしたくなるくらいにうざったらしい)のだけれど、そこには宇多田ヒカルという大きな物語を感じているリスナーが存在している訳でして。うむ、それこそが煩わしいと言われたら返す言葉もないのだけれど、一応ヒカルという芸名のもとでの活動という風にある程度切り離しておいてくれたらなとも、思ったりもしますのでした。

今回やっと(?)心置きなく実話として堪能できる楽曲『気分じゃないの(Not In The Mood)』が現れてくれた訳だけど、まぁこの曲はそんな風に“こちらに話し掛けてきてくれる”メッセージ性が皆無でして。あたしなんかはそれがとても居心地いいのだけど皆さんは如何でしょうかね。