無意識日記々

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つまりこれまた

『大空で抱きしめて』は『Forevermore』とは対照的に、殆どベースが聞こえない曲である。いや、鳴ってるのかなこれ。鳴ってたとしてもメタリカの「メタル・ジャスティス(...and Justice for All)」並みにベースの音が小さい。ベースレスみたいなもんじゃないだろうか。

それだけに、クリス・デイヴの役割は大きい。リズムの起伏を殆どひとりで担っている。ギタリストの"奥ゆかしいが自信に満ちたいい仕事"がなければ独壇場と断じていた所だ。

特にこの曲は、導入部から奏でられるあの「ほのぼのスキップビート・キーボード」がサビメロに至る頃には消え失せているという独特の構造をもつ。メロディーの推移に沿って曲調が変化していくのだ。それでも最後まで軽快さを失わないのは、前にも触れた通りクリスのリズムが一貫しているから。

特にシンバル・ワーク(ハイハット…要するにシーシー鳴ってるヤツね)には注目だ。最初から件の「ほのぼのスキップビートキーボード」にシンクロしたリズムを奏でているのだが、既述通りキーボードは途中で消え失せ、次第に重厚なストリングスたちにとって代わられていく。しかし、クリスのシンバルワークだけは一定なのだ。極端にいえば、この歌の"アイデンティティ(同一性・一貫性)"は彼のシンバルにある、のだ。ここが揺るぎないから曲調の変化が分断されず、流れるようなグラデーションの中で実現されていく。

しかし、奇妙な符割りである。中央で小さく刻む方はほのぼのスキップビートと全く同じリズムを刻んでいるのだが、中央やや左のシンバルは急に裏に移ったり表に帰ったりと妙に捉えどころがない。しかしこれが、キーボード主体の軽やかな場面では楽曲が浮つき過ぎないように印象を引き締め、ストリングス主体の重々しい場面では逆に飄々と"空気を躱して"すり抜けていく。ウワモノの変化に動じない、何とも頼もしい、しかし奇妙なリズムの打ち方である。

これがクリスの即興なら相当なセンスの持ち主だ。私は彼の事をよく知らないから「当代一の凄腕ドラマー」と言われても「へぇ、そうなんだ」としか返せないのだが、このプレイを聞かされるとただ巧いだけではない、楽曲の本質的な部分に編曲で踏み込んでくるような知性を感じさせられる。勿論、ヒカルが細かな譜面を渡して叩いて貰っている可能性も大いにある訳なのでそれがクリスの仕事だと断じるまではいけないのだが、少なくともこの奇妙で複雑なフレーズをたった1人で叩き切っているという時点で感嘆の念を禁じ得ないのだった。

つまりこれまたライブでの変化を楽しみにできる歌が現れたという事だ。このシンバルワーク以外を選択してくれば、この曲のグルーヴが変わるのみならず、この曲の構成美が与える印象にも変化を齎すだろう。最初に言った通り、感情の表現が構造に埋め込まれている楽曲なので、構造の変化は即ち感情表現の変化なのだ。それに沿ってヒカルの歌い方も自然に変わっていくだろう。ドラマーの人選とプレイの選択が歌に影響する。覚えとこな。