無意識日記々

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ならされていないていおん

日本人はベースに興味がない、という話。ギタリストは昔から人気がある。三大ギタリスト、エリック・クラプトンジミー・ペイジジェフ・ベックなどは有名だろう。リッチー・ブラックモアは既述の通り異様な人気だ。エディ・ヴァン・ヘイレンイングヴェイ・マルムスティーンなどは言うまでもないだろう。しかし前回記した著名なベーシストのうち、上記のギタリストたち並みに名前が知られているのはジョン・ポール・ジョーンズくらいか。ポール・マッカートニーは超有名だが別にベーシストとして評価されている訳ではない。

日本人がベーシスト、ベース・プレイに興味を示さない理由。正直に言えばわからない。しかし、常に書いている仮説ならある。

まず、日本の住宅事情だ。アメリカの家はデカい。お隣さんまで距離があるから大きな音で音楽が鳴らせる。日本は密集住宅だからそれに適さない。特に重低音というのは音量がなくては真価が発揮されない。つまり、そもそも低音が鳴らされていないという話。

もうひとつは、普段の可聴領域だ。日本語の発音は英語のそれに較べて低音が少ない。Rの発音のように喉の奥に空間を作ったりせず、口先で喋るような感じ。だからそもそも普段から低音に耳を傾ける機会が圧倒的に少なく、耳が低音に慣れていないのではないか。つまり、低音に慣らされていないという話。


低音が鳴らされていない事と低音に慣らされていない事。この2つがあわさって日本人の「低音への無関心」が形成されているような気がする。あクマで仮説に過ぎないが。


さて。そんな日本人に対して『Forevermore』は低音を派手に利かせてきている。嗚呼、漸く本題。ここにこの曲への評価の鍵…というか、好かれるか無関心かの分水嶺があるように思えるのだ。次回はそこら辺の話から。