無意識日記々

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誰にともなく書くネットリテラシーの話

昨日は「国際信州学院大学」というキーワードがネットを賑わせていたらしく。詳しくはググって欲しいが、要は久々に有名になった「手の込んだ壮大な釣り」だったようだ。火星人襲来みたいなもん? いやいやいやいや。

元々は架空の大学を捏造して受験生を困惑させようというかなり悪質な意図の許で始まった企画だと記事には書いてあったが、果たしてこれをどう受け止めるべきなのかは難しい。

実際の意図は兎も角、「騙される人が出る」予想は必ずついただろう。愉快犯という訳だが、これは何らかの意味で"悪いこと"なのだろうか。

人を騙すことは悪いことだ、という道徳的倫理観は根強い。ただ、"騙されるかもしれないこと"が共通認識としてある場合はこの限りではない。ポーカーでポーカーフェイスに騙されれば悔しいし腹も立つが、それを道徳的に"悪いこと"だと責めるのは筋が悪い。というか殆どできない。大抵は、ポーカーというゲームが騙し合いであるという認識をゲームの参加者が共有しているからだ。

今回の「国際信州学院大学」の一件では、実害はない。ドタキャン騒動についてツイートしているアカウントが総て架空のものだからだ。いわば、ツイッターアカウントの会話形式を利用して小説を書いたようなものだな。

で、それに対して憤慨している人と賞賛している人が居る。これは、ポーカーのような「共通認識」の有無の差だろう。インターネットに書いてあること、いや、目の前にある事を無批判無検討で信じる人は憤慨するだろうし、インターネットは嘘ばかり、と思っている人は「見事な釣りだ」とその手の込みようを賞賛する。その差だ。

社会としては、いちいち真偽を検討するコストをかけるより、情報は総て真実だとして回す方が遥かに効率的になる。「健全な社会」だ。しかし、その効率化された健全な社会に詐欺師が1人紛れ込めばそいつがその社会で最大利得をせしめて一方で社会は混乱に陥る。そこらへんはゲーム理論の授業の最初の方で習うだろう。

i_さんとしては、ネットニュースでみる前に国際信州学院大学に辿り着いて清々しく騙されたかったというのが本音でその点が悔しいのだが、世の中はそういう風に思わない人が多いのは知っている。どっちがいいとか悪いとかではない。

ただ、騙されて憤慨している人にこれだけは言っておきたい。向こうから電話が掛かってくるオレオレ詐欺などとは違って、インターネットのフェイクニュースにアクセスしたのは貴方自身の手によるものだという事だ。勿論、クリックorタップした先に何が書いてあるかわからない。しかし、わからないからこそひとつひとつのリンクを辿る時には慎重になるべきなのだ。残念ながら、私のみたところ、嘘の一切書かれていないインターネットコミュニティーは存在しない。見たことがない。だが、あなたにアクセスを強制するものは何もない。電話はとらないと鳴り続けるけれど、ハイパーリンクはそっと閉じればもう一生無縁でいられる。その性質だけは頭に入れといて欲しい。