無意識日記々

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庄司パイセン流石でしたッス!

という訳で庄司紗矢香の新譜を聴いてみたのだがいや凄いわこれ。ベートーベンのピアノ協奏曲は第1楽章の構成がカデンツァ(ソロタイム)頼みな感が無きにしも非ずなのだがいやもう庄司姐さん「俺に任せとけ」と言わんばかりの頼もしさで。曲をぐいぐい引っ張ってゆく。思わず引き込まれてしまいましたよ。

聴いていてその高過ぎる技術力に裏打ちされた表現力とそれを的確に捉えた録音のよさに吃驚。1年前の音源らしいが、今のクラシックの録音技術ってこんなんなのね。ストリーミングで聴いていてもハイレゾ音源よりもクリアでダイナミックだった。そう、そのダイナミックレンジが驚異的に広いのな…。

それだけのサウンドプロダクションを要求するに足る、というかそれだけの録音だからこそ本領を発揮できる庄司紗矢香の繊細な技術。凄いね。こんな精度で2時間打っ続けで生演奏してたらヘトヘトになるんじゃないの。細かいところまで行き届く集中力と勢いを失わない大胆さの同居。如何にも女性らしくたおやかに弦を響かせる場面と、とても女性とは思えないオーケストラを引っ張ってゆく英雄的な統率力。なんだか女らしいとか男らしいとかいうカテゴライズが無意味に思えてくる。そう、ここまで高いレベルになると性別なんて関係ないのである。場面々々で必要な技術を的確に披露できる。こりゃきっと毎回コンサートチケットは売り切れなんだろうな…。

しかし。繊細な表現力に於いては宇多田ヒカルだって負けてはいないぞ。そう思って『初恋』アルバムを聴き直してみたのだが、嗚呼まず録音で負けてるんだな…。ホールで一発録音するクラシックのレコードと、スタジオで録音したものをミックスしまくるポップスのレコードを比較すること自体がナンセンスなんだが、いやしかし更にもっといい録音でヒカルの声が聴きたくなったわこれ。

無謀だとはわかっているが、ヒカルが表現者として“張り合う”べきなのはこういった同世代のハイレベルな弦楽器奏者たちなのではないだろうか。なんというか、歌手で参考になるのは伝説クラスばかりで死人多数。生きていても友だちじゃない大御所ばかり。しかし、例えばこの庄司紗矢香なら誕生日はリアル数日違いで歳もすぐそこ、同じ日本語を話す者同士だ。「ライバル意識」を育むにはこういった相手がいい。ヴァイオリンでこう弾いているところを参考にして歌ってみよう、とかそういう問題意識でアプローチすればかなり独創的な成果があげられそうでな。どう弾いているのか直接すぐ聴けるだろうし。嗚呼、前回は棄却したが、やっぱり2人の2人きりでの演奏&歌唱を観たく&聴きたくなってきたぞ。今回のリツイートが結実する日を心待ちにしていきたいと思うのだぜよ。