無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

それを人は『初恋』と呼ばなかった

もう少し言い加えると。親に愛されて育った人の気持ちも親に愛されずに育った人の気持ちも、親を愛して育った人の気持ちも親を愛さずに育った人の気持ちも、想像するまでもなく実感としてわかるという事だ。他にこんなケースはなかなかないだろう。

そこまでの状況なら、でも、無いことは無いだろう。そこでヒカルは分裂しなかったのだ。統一された人格に於いてそれらに対処してきた。分裂した状況の中で自我を保ってきた。最初ヒカルがデビューしてきた時にここまで親に対して葛藤のある子だと気づいていた人はどれ位居ただろうか。それを気づかせぬ程に、なんていうんだろう、20年前は元気だったねぇ。

そこに圧倒的なヒカルの“強さ”がある。『初恋』が、実った恋のようにも破れた恋のようにも聞こえてくるのは、ヒカルにとっての初恋が、本当に両方あったから、だ。親に対する愛情を恋と呼ぶのはここに至って非常に挑戦的だが、それが本当の実感なのだから仕方がない。ただひたすら感情の在処を探し続けた結果なだけで、その事実は最初からそこにあったのだ。その、葛藤と呼ぶべきかすらもわかるない状況の中でヒカルの“強さ”が立ち現れてくる様を描いたのが『初恋』なのだと捉えながら同曲をもう一度聴き返してみると新たな感慨に出会える気がする。『Can't Wait 'Til Christmas』『Goodbye Happiness』『桜流し』『真夏の通り雨』と来ての『初恋』。あらためて、タイトルトラックに相応しい“今”を捉えていると痛感してやまない。