無意識日記々

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『何度聞かれようと変わらない答え』を返す母親像

前回スルーしたのが

『何度聞かれようと変わらない答えを聞かせてあげたい』

の一節。次節と同様に『聞く』を重ねて聴覚感を演出しはしてるので同じ文脈で捉えることも可能なのだがそれを置いておいてもセンテンスとして切なく響くのはこちらがヒカルの言葉を知っているからか。

@utadahikaru : 光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど、どんな時も私を愛してくれて、良い母親であろうといつも頑張ってくれてたんだなと今になって分かる。今後、精神障害に苦しむ人やその家族のサポートになることを何かしたい。── 2013/9/19 22:31

御覧の通りヒカル自身は母から愛情も憎悪もどちらもたっぷり注がれて育った(圭子さんからすれば愛情表現の葛藤であったとしても)。だから親に愛される強さも知っているし親に愛されない寂しさも知っている。それが歌詞の幅に繋がり普通では考えられない程の広範な支持を得る基盤のひとつになっていると考えられはするのだが、自分の息子と相対したとき、やっぱり愛されてるといつも実感できるのがいいよねと再確認したのではないか。

ヒカルは母と対峙するとき常に「今日のママはどっちのママなんだろう?」と不安に駆られていた─んだとすれば、話し掛けた時にいつも『何度聞かれようと変わらない答え』を返す母親だったらどんなにかいいだろうと常に願っていたとしても不思議ではない。そういう願いをこの歌詞から読み取る事は行き過ぎだろうか。そして視覚への今度は自分のこどもに対しては憎しみを与えないで愛を注ぎ続けていきたい、という願い。そう解釈した時にこの歌で演じられている「母親の理想像」が如何ともし難く切なく感じられて…まぁ、キュンとくるよね。そういう歌。いいよなぁ、『あなた』の歌詞は。

。なんだかまた脱線してますが次回は前回の続きを書く…のかな。その時になって自分自身と対峙してみないとわかんないわ…。