無意識日記々

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いたい もう少し

『あなた』の歌詞からは「家」が生まれた感覚がよくわかる。『戦争の始まりを知らせる放送もアクティヴィストの足音も届かないこの部屋にいたい もう少し』。自分自身のリアリティがどこにあるか。今ココ、だ。当たり前過ぎる程当たり前だが、情報の波と社会での役割を演じる事に疲れてしまうとそんなことも忘れてしまう。もっとも、この歌だって宇多田光さんが宇多田ヒカルの役割を演じる中で生まれてきてはいるのだけれども。

自分自身のリアリティがある場所に他の誰かが居る場合、そこは「家」に成り得るだろう。光は「日常」と表現していたが。これも相対的なものでその他の誰かがその時間空間にリアリティを感じていなければそこはその誰かにとって家や日常にはならない。母と子とて例外ではない。しかしヒカルの場合漏れ伝わる“微笑まエピソード”の数々から察する限り仲良くやっているようで。

2人でいる時はステージで歌っているヒカルはそれこそ別人のように感じられている、かな。ヒカルは『Laughter in the Dark Tour 2018』映像商品の編集作業には関わっていない、んだろうな。自分の作品や歌唱はプロデュース出来ても、ステージ・パフォーマンスやアピアランスまでプロデュース出来るかというとわからない。『Goodbye Happiness』MVを観る限り能力的には問題なさそうだが単純に手間暇が要るし他の誰かが出来るのなら任せれるところは任せてヒカルは自分にしか出来ない事をしていよう。こどもの世話もあるしね。

先程引用した歌詞、『戦争の始まりを知らせる放送もアクティヴィストの足音も届かないこの部屋にいたい もう少し』。『いたい』で終わらずに『もう少し』でしめている。ずっといたい訳ではなく、期限を自ら切っている。また放送や足音の届く場所に戻ってくるつもりがあるという事だ。良くも悪くも、家以外の場所が要る。また歌う為に。家でも童謡歌ってんだけどね。