無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

seize your day within life & death

『一日の終わりに撫で下ろす

 この胸を頼りにしてる人がいる

 くよくよなんてしてる場合じゃない』

『コートを脱いで中へ入ろう

 始まりも終わりもない

 今日という日を素直に生きたい』

『あなた』と『テイク5』の歌詞を見較べながら、「随分変わったなぁ」と溜息を吐く。歌詞なので別にヒカル個人の感傷と直結している必要はないのだが、それぞれに歌の説得力が有り過ぎて「この人は実際にこう感じたからこんな風に歌えるのだ」としか思えない。

『テイク5』の時の空虚感。『会わない方がケンカすることも幻滅し合うこともない』とひとりでいる事を敢えて選ぶ。コートを脱いで中に入ってくるのはひとりだろうし出迎えもないだろう。そこに及んで『今日という日を素直に生きたい』と呟いて自分が生きたいのだと初めて気づく。素直になりきれてなかったんだろうな。

『あなた』の方にそんな余裕はない。生きるも生きたいも素直も捻くれもヘッタクレもあったもんじゃない。この子を抱えて生きるに決まっているのだ。そんなところで悩むだなんて"しゃらくさい"んだろうね。くよくよしてる場合じゃないわなそりゃ。

こんな風に全く異なる一日の終え方を見せられているのに、どこか同じにみえるから不思議だ。ヒカルからすれば、ひとりで一日を終えるのもふたりで一日を終えるのも、基本的な思想信条感性悟性自体は変わらない。ただ、もう一人居るか居ないかだけなのだ。変わったのはそこだけ。それに合わせて変わる所は総て芋蔓式だかドミノ式だか。どれも必然で自然な事なのだ。

『あなた』と『テイク5』は、それぞれ関連する作品「鎌倉ものがたり」と「銀河鉄道の夜」いずれもが「生の世界と死の世界の境界を行き来する」作品であるという点で共通している。そして、今見たように、その生と死の狭間に立ちながら今日という一日をどう捉えるかについて言及している。息子が出来た事で、そのトーンは大きく変わった。ヒカルにとってとても大きかった。しかし、だからこそそこにヒカルの変わらなさがよく見える。変と不変は一体となって光を見せてくれるのだ。