無意識日記々

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それがどうしたって言われれば何も無い

おっとっと、今年は誕生日が日曜日なんだな。次に日記を書く時にはヒカルはもう37歳かもしれない。それがどうしたって言われれば何も無いんだけど。

10年前は「26歳のヒカルのライブを観たんだぞ俺は」とか自慢していた気がする。勿論、それがどうしたって言われれば何も無いですよ。

私からすればこの日は天皇誕生日より格が上なので毎年祝日にして欲しいんだが無理か。うーん。

昔は「そのうち宇多田ヒカルはお札の肖像画に採用されるよ」と高を括っていたのだが昨今の世情はそれを許しそうにない。電子マネーを主流化しようという流れだからだ。自分もいつの間にかポイント付与の恩恵を受けていたりして国からの圧力を感じています。利率を負にしたいのかもしれんねぇ。

祝日もお札も無理となったらこの日をどうやって未来永劫祝おうか悩ましい。クリスマスみたいになれればいいんだけど、ヒカルは宗教と関連付けられるのは嫌だろうからなぁ。

そもそも、本人からすればこの日は「くまちゃんと初めて会った日」である事が何より大きいのではないか。もう14年にならんとしている。たぶんKuma Changはサザエさん時空の住民であり歳はとっていないと思われる為この日を“誕生日”と呼ぶのはもしかしたら違うのかもしれないが目出度い&愛でたい日であるのは間違いなかろう。『くまのこ教』や『くまちゃんの肌触りは世界一党』にみられる通りくまちゃんが絡めば宗教も政党もOKになるところが凄い。祝日やお札・記念硬貨などにはヒカル本人よりくまちゃんの方が相応しいのかもしれない。

それに、ヒカルもそろそろ息子に祝って貰える位になってきたんではないだろうか。かたたたき券とかプレゼントされるかもしれないぞ。親としてはそういうの嬉しいんじゃありませんの。

ヒカルがくまちゃんや息子に囲まれて幸せな誕生日を迎えてくれるのならば何の記念も要らないや。それが素直な結論です。

『戦争の始まりを知らせる放送も

 アクティヴィストの足音も届かない

 この部屋にいたい もう少し』

このフレーズがなんか沁みるわ。こういう日もまたそういう日なのかもしれないね。