無意識日記々

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“静かな宵に 光を灯し”

なお前回のタイトル「私と私が手をとりあって」はヒカルが長年敬愛して止まない(『Animato』の歌詞にも登場する)フレディ・マーキュリーが死ぬまで在籍したイギリスはロンドン出身のロックバンド、クイーンの楽曲“Teo Torriatte”に由来する。

フレディは経歴からすると恐らく両性愛者で、それは性的指向の話だが、ステージなどでのファッション・センスからするともしかしたら性自認の上においても両性的であったのかもしれない。そう、今でいうノンバイナリにあたる人だったのかもとも思われる。“Love Of My Life”の歌詞なんてとても“女性的”だしね。

そう(21世紀の)今の視点で眺め直すと、ヒカルのフレディに対する異様な熱狂は、もしかしたらパフォーマンスや歌唱力に対する憧れ以上に、今より更にもっと偏見に満ち満ちた世界の中で強烈な自己主張と葛藤を魅せ続けたフレディ・マーキュリーという20世紀を代表するロック・アイコンに対して、ヒカル自身も知らず知らずのうちに尊敬と共感を持ち合わせるようになったからなのではないかな、とふとそんなことを思ったのでした。

でその“Teo Toriatte”には

「静かな宵に 光を灯し」

という歌詞が日本語でそのまま出てくる。英語だと

“In the quiet of the night

Let our candle always burn”

の部分にあたる。かつてマリア・カラスが「ヒッカ~ル!」と歌った空耳の場面にあれだけテンションが上がっていたヒカルならフレディの歌う「ヒカリ」にも結構反応してたんじゃないかなと妄想する一方、一昨夜の『君に夢中』でヒカルが歌ったときのステージ・セットに沢山の灯された光─ロウソクが並べられてるのをみた私は「なんだかまるでクイーンみたいなイメージだな」とそれらを勝手に脳内で繋げて捉えたのでした。今でもヒカルは「キャーッ!フレディーッ!」ってテンションでいるのかなぁ。憧れは永遠だもんね。