無意識日記々

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きゃーフレディ

今日は『Utada Hikaru Single Collection Vol.2』の発売10周年記念日であり、また、フレディ・マーキュリーの命日でもある。

フレディが亡くなった時、ヒカルは8歳だったのかな。早熟な人故、既に彼の事は知っていたんだったかな。リアルタイムでニュースをみていた身としては、彼がHIV感染者であることを公表した翌日に逝去の報が舞い込んできて何が何だかわからなかった。昨日の今日だぜ。当時AIDSは不治の病で、その報が出た時点でもう駄目だという雰囲気にはなっていたのだが。

8歳でこのニュースに触れていたとすると、想像するに余りある衝撃だったろうか。ヒカルの10代の頃のフレディ愛は凄まじく…いや、今でもきっと好きだろうな。言及する機会がないだけで。

キーも合っていないのに"Livin' on My Own"をカバーする位だから、その愛情度は推して知るべしだ。この歌のメッセージ性は、先週取り上げたスティングの"Englishman in New York"にも通じるものがあるだろう。

80〜90年代当時は、まだまだ同性愛者への風当たりが強かった。自分たちメタラーは頂点に君臨するメタルゴッドからして同性愛者だったのでコミュニティ的に対応力があったのだが、Pop Musicのフィールドではそうではなかったのだ。フレディも、散々苦労したに違いない。HIV感染もその文脈で語られる事が多かった。今なら噴飯ものの仕打ちも、黙って耐えるしかなかった。…いやそんな現場見たことなんかないけどね。

今の時代にフレディが生きていたらどうなっていただろう。多くのミュージシャンが夭折する事で実態より過度に伝説化される様をみてきたが、彼の場合は生きていてくれていた方が伝説度は増していたかもしれない。まさに、新時代の、21世紀のロックアイコンとして、時代の先駆けとして敬われていただろう。それがフレディにとって居心地よかったかどうかは別にして。

歴史のifを語る事ほど野暮な事もそうそうないのだけれど、彼が生きていてヒカルとデュエットする日が訪れていたらどんなに感動的だったかわからない。ラジオ番組の名前を『トレビアン・ボヘミアン』、初ツアーの名前を『ボヘミアン・サマー2000』にしたのもクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』の影響だった。今ヒカルがフレディを振り返って何を語るのかは、興味のあるところだ。