無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

私と私が手をとりあって

いきなりトークのディテールから話を始めてしまったが、当然関心のメインは『君に夢中』のパフォーマンスである。これまた当然素晴らしかった。言うことなし過ぎるくらいによい出来だった。

生放送かどうかすら気にならないくらいに最近のパフォーマンスは安定している。昔ならもっとビクビク観ていたんだけどねぇこちらも。ヒカルの最近の安定感の凄いとこは、「儚げで危うい、不安定になりそうな歌声」を安定して出している点だ。よくこんな矛盾を維持できるよな。例えばMISIAの歌声は声自体が安定感抜群でこれきっと生で聴いたら感動するより先に安心と快感が来るだろうなと想像するのだが(そういやまだ一度も生で観たことないなー日本列島在住の者としてそれでいいのか!?)、ヒカルの歌声は切なくて心細い心情をそのまま表現する声色と発声を維持し続けるのでこちらは心のキュンキュンが止まらなくなる。ヒカルの声に安定感が欠けるというのはそのキュンキュンが止まってしまうことなのだが最近は全くそれがない。見事なもんだね。

ここらへんを取り違えると「出来の良さにバラツキがあるその危うさこそがロックだ」みたいなよくわからない擁護論になるのだが、ヒカルはやっぱりPopsのミュージシャンなんだなと感心するのでありました。ほんとこんな繊細な声をコンスタントによく出し続けるよね。2016年以降の発声改革の賜物ですわきっと。

さてさて、それと同時にこの日記の流れからしたら、そうあれですよ、「フリーハンドの左手の動き」について触れなくてはなのですよね。だが今回のヒカルさん、時たまマイクを左手に持ち替えてんじゃん! 右手がフリーハンドになる時間帯があるじゃん! いやそれ自体は昔からあるんだけど、ここ最近の2曲(『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』と『BADモード』)は片手オンリーだったからね。うぅむ、ここで変えてきたか。

なぜ今回はそんな持ち替えが発生したのか。結構意図的だと私はみた。

いつ左手にマイクを持ち替えるかといえば、サビメロとDメロのときがメインのようだ。AメロBメロでは右手で持っている。ただ、なんだろうね、本人が「持ち替え忘れた」のかな、それぞれ少し遅れて持ち替えてる。「あ、ここで右手を動かさなきゃなのにあたし今右手でマイクを持ってんじゃん!?」と気づいて慌てて換えてるような。もしそうならフリーハンドの動きは予めある程度イメージが出来上がっている訳だ。

そのフリーハンドの動きで私が今回触れたいのが

『どの私が本当のオリジナル?』

『私が私を欺く』

の2つのパートでのものだ。前者の時ヒカルは左手を自らの胸に当て、後者の時は右手で頭を抱える仕草をする。ここが恐らく対比になっているのだ。

つまり、「本当の私」は胸の中、ハートに在って、「欺く私」─これは「嘘を吐く私」「嘘の私」と言い換えてもいいかもしれない─は頭の中にあるのだと。そして、それぞれ、心を指し示すのが左手で、頭を指し示すのが右手なのだ。これをやりたくてヒカルは今回マイクをわざわざ持ち替えてきたのだと思う。

ヒカルはかつて、悪夢を見るときに右手で左手を掴むという話をしていた。これはアタマ(理性)がココロ(感情)を押さえつけているとヒカルは解釈していたが、一方でそれは、今回の左手と右手の使い分けからすれば、心の叫びがヒカルの「本当の私」であり、アタマのリクツは「欺く私」でもある、ということなのだろう。

『Give Me A Reason』で『ほんとはワケなんていらない』という歌詞が出てくるが、ここの『ほんと』は、つまり「私の心」或いは「私の本当」であって、もうこの頃からヒカルは己の理性と感情、ウソとホントウの均衡をテーマに歌ってきていた。それが23年後の2022年の今になっても貫かれたテーマであると、今回のヒカルの右手と左手は告げてくれている。

そして、この間私は「ライブ・エール」のトーク場面でヒカルの左手と右手が“和解”しているという点を指摘させてもらったが、その後の「SONGS OF TOKYO」でのトークでヒカルは「ありのままのつもりでいたんですけど、ありのままの自分がわかってなかった。そこが一致してきたのがいいのかな。」といった話も語ってくれた。この発言も、理性と感情が、右手と左手がいがみ合わずに手を取り合っている事と軌を一にしているように思われる。

そしてこの「CDTV LIVE LIVE」での『君に夢中』のパフォーマンスでヒカルは、上記の通り左手で心に在る本当の私を、右手で頭に在る欺く私を表現し、そして、曲の最後でそれぞれ左右の手で持ち替えて片手ずつで持っていたマイクを“両手で”そっと抱え込むのだ。いや、この場面を見た時には鳥肌が立つのを禁じ得なかったね。ヒカルは確かに今漸く、ホントウとウソ、心と頭、感情と理性、左手と右手をひとつに一致させつつある。それを示唆する素晴らしい、記念すべきパフォーマンスだったのだ昨夜は。

しかしこの人、長く観てれば観てるほどその甲斐を感じさせてくれるよね。マイクの持ち方ひとつ見てるだけでも、こんな風に23年前の歌からの流れの中で本当に考えさせられるのだから。もっとも、そんなフリしてこちらを欺いてるだけなのかもしれないけどもね!(笑)