今回、360RA-Liveのアプリを開いて「?」と思ったことがある。配信されたのが動画だった点だ。
いや勿論、アプリで観る分なんだからそりゃそうなんだけど、『40代はいろいろ♫』って普通のカット割りなのよね。複数のカメラで全体と各演奏者及び宇多田ヒカルのアップ画像を切り替えていくという。極々普通の。
前も指摘した通り、360RAが「本領発揮」するのは、3DVRと組み合わせれた時だ。自分の頭や目線が動くのに従って目の前に拡がる風景も動き、更にそこに音が付随してきてこそ真のヴァーチャル・リアリティなのだ。変な日本語(英語?)だけど。でも、今は流石にそこまでは行ってない。生配信なら尚更だ。
なので、次善の策としては、360RA-Liveアプリのテスト動画にあったように、カメラを1台にしてそれを連続的にノーカットで動かし、その動きに沿って各楽器の定位が細かく変化する手法などが考えられる。しかし、それは正直音楽的に価値があるとは言いづらい。どちらかというと技術のためのデモンストレーションだわね。
だが、だからといってこのように普通の動画に360RAのサウンドを合わせてしまうと、360RAの効果が減ぜられてしまう。多分だが、今回の作り手は聴覚心理学上の「視覚との相互作用」についての考察が足りていない。音声の認識(と認知)は容易に視覚に影響される。故に、普段通りの動画を観ながら360RAのサウンドを聴いていると、 段々普通のステレオに聞こえてくる(註:まぁ普段普通のステレオもカット割りに邪魔されてるんだけど、我々もうそれに慣れてしまってるから意識しないとわからんな)。これだと、目を瞑って音だけを聴いている方が360RAの恩恵を感じやすい。個人的感情を抜きにして言えば、360RAの良さを堪能するためには動画は邪魔でしかない。いや宇多田ヒカルの写ってる映像を私に邪魔とか言わさないでよ(というのがその個人的な感情の中身です)。
こういうミスマッチは、新技術導入黎明期にはありがちなことなので、特に批難するには値しない。だが、それと共に根本的な疑問は出てくる。これも多分前に書いたことなんだけど(どうだか忘れちった)、そもそも宇多田ヒカルの音楽にヴァーチャル・リアリティは必要なのかという話になってしまうのよ。
ヒカルの音楽は基本的にデスクトップ・ミュージックなので、その“正体”はヒカルの頭の中かラップトップのメモリの中にある。そこが起点で基本だ。ライブハウスやリハーサル・ルームで演奏されるものをパソコンで打ち直したとかではなく、そもそもマッキントッシュと共に生まれてくるものなのだ。
そうするとですよ、ライブ・コンサートで天球上に各楽器の定位が正確に配置されても、特に有難味はないのですわ。何故ならヒカル自身が作編曲時点で2ちゃんねるのステレオで音楽を構築しているから。それが“正体”なんだもん。人同士が演奏することが先にあるオーケストラや室内楽やバンドサウンドが正体である生音楽とは根本的に異なるのです。概念なのよ。
となると、今後宇多田ヒカルがまた360RAの技術を取り入れてその上「進化するためには」、ヒカル自身が作編曲時点で360RAを想定していないといけない。つまりSONYの技術陣は「360RAで作編曲出来るツール」をヒカルに提供しなければならない。そこで初めて、宇多田ヒカルの音楽的価値に真の意味で貢献する技術になるだろう。
…って、ずっとLogic Performerを使ってるヒカルが今更他のツールを導入するかな?? いやまぁまだわからないか。恐らくここで、AppleのドルビーアトモスかSONYの360RAのどちらを選ぶかの分かれ目が来る気がする。作編曲用ツールを開発してミュージシャンに提供するかどうか、だね。もう既にあるんならとっととヒカルに渡してしまってみて欲しいわ。
でも、ヒカルも興味あると思うんだよねぇ。例えば『Animato』なんて、互いに独立した旋律が同じ時間軸上で4つも5つも重なって出来てる曲なんだから、これを天球上に配置できるとなったら結構嬉しい気がするんだけど。『HEART STATION』のトリプルキーボードなんかもそうだよね。となると、既にもうツール導入して作曲してたりするかもわからんな。仮にもしそんなことになっていたとしたらリスナーとしては立体音響環境準備必須になっちゃうわね。ま、でも結局はヒカルの歌声がメインなのは変わりないだろうから、音声なんてモノラルで十分だと思います私は!(毎度ながら身も蓋もない結論ですね)