無意識日記々

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本題がとても短いいつもの立体音響話。

週末にスリップノットを観ながら「9人居ても結局はヴォーカルとドラマーだなぁ」とボーッと思ってた。いや9人居たかどうかもよくわからなかったな…ステージ遠かったし…。音の出所って多すぎてもシンプルな要素に収斂しちゃったりするわね。感想が。

いきおい、最近頻繁に話題に出してる立体音響の事が連想される。『First Love / 初恋』がドルビーアトモスで配信され、『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の360RA版の披露が進む中、はてさてこれはどこらへんに着地するかなという興味が湧いてくる。

ステレオ2チャンネルから立体音響への移行の行方に関しては、半世紀前のモノラルからステレオの移行が参考になるかもしれない。当初例えばビートルズがステレオバージョンのリリースをしても、それは左右の端っこに楽器の定位を固定したシンプルなもので、もっといえば真ん中がスカスカだった為当初の大方の評価は「なんだ、モノラルの方が迫力あるじゃん」だったようだ。

そういう初期のステレオミックスから技術の蓄積を経て今やモノラルで音楽を聴くことの方が少数派だ。大抵皆さん音楽を聴くときは左右にイヤホンかヘッドホンつけてるもんね。

んだが、そうやってステレオで聴いてる人も大半は細かい分析をしてる訳でも無く、たとえモノラルと聴き較べても「なんかこっちの音の方が迫力あるよね」という感覚的な基準でステレオを選んでいるように思う。定位がどうのなんて最初はそんなに気にしない。

半世紀前もきっとそんな推移だった。となれば、現代の立体音響も、ステレオと聴き較べて「なんとなくこっちの方が迫力がある/音がいい/気分がいい」みたいな感想を引き出せるかどうかが普及の分かれ目になる。

そこに到るには、結構構造的な変化が必要なのよね。自分が知ってるハードロックの分野だと、まだモノラルが主流だった60年代に活躍したクリームやザ・フーレッド・ツェッペリンくらいまではギターが1本のバンドが多かったが、ステレオが普及した70年代以降はギターが二本のバンドが増えた。スタジオとライブでは事情が違うし乱暴な一般論だとはわかっているけれども、今後立体音響が一線を越えて普及するとなると、同じように演奏の編成自体の概念を変えてくるかもしれない。それによって「なんとなく感じる迫力の差」が生み出されてくるだろう。「宇多田ヒカルが立体音響に携わるなら作編曲できるツールを提供しよう」と前に提案したのはこういった推移予想が念頭にあったからだ。

未来はあやふやだが、そこらへんの話が進むと(ここからが本題)、いよいよヒカルがライブでバックコーラスを常設してくるかもしれないな、と思ってね(本題終わり)。48トラック以上重ねると言われてきたコーラスワークが立体音響になると一体どうなるのか結構想像もつかないが、ヒカルに面白いツールを提供したらついつい面白がっちゃってライブでの再現性を考えずに凝っちゃうかもしれず、完成したあとに「さぁこれコンサートでどうすんべ?」って言い出す未来を想像する。今までは自分の声の録音で済ませてきたけどいよいよ観念するかもしれない、と期待(?)する一方、いやそんな事でスタンス変えてこないだろうとも期待(?)したくもあり、ここの私の心境は曖昧だわね。SONYストアでのシアタールーム視聴予約取れたから、またそれ観てから自分の感想の変化を楽しみたいと思います。