無意識日記々

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「詞には名が要る」

そうなのよね、AIに「『Automatic』みたいな曲をもう1曲作ってみて」と頼んだとしても、ほぼ絶対にUTADAの『Automatic Part II』みたいな曲は出てこないのよ。ヒカルはこの曲をリリースした2009年の頃の時点では「挨拶代わりの曲を英語で作ろう」「日本で挨拶代わりの曲っていったら『Automatic』だったからじゃあタイトルは『Automatic Part II』だな!」みたいな風に考えていた筈で。曲調でも歌詞でもなく「曲の立ち位置が似てるから」という理由で「パート2」という名を付ける…そんな発想がAIに出来るかどうか? いや勿論、「宇多田ヒカルの普段の言動まで精査してパート2というタイトルをどういう場合になら付けるかを鑑みて『Automatic』っぽい曲を作れ」とか指示を出したら作ってくれるかもしれないけど、いやそれ指示出す側がもう答をわかってる感じよね…。

「歌詞」というのは斯様にその歌い手の「立ち位置」まで考えて作られねばならない。アメリカのヒットソングの中にはゴシップに精通してないと何のことを歌ってるのかサッパリわからないものがかなりある。今誰と誰が付き合ってるだとか元カレ元カノがどーのとか。知らんっちゅーねんなぁそんなん。

日本ではあんまりそういうのは増えていないが、それはヒット曲がタイアップ中心だからかな。歌い手の下世話な話を歌詞に織り込んでおきながら異世界アニメの世界観を維持できたら大したもんだ…とかなんとか言おうとしたのにいやそういうのが似合う下世話な異世界アニメなんて幾らでもあるやんな…まぁそれはそれとしてw

インストは誰が作ろうがその時その場で鳴っている音のみで価値が決まるが、歌詞のついた歌というのはいつどこで誰が歌うかで価値が激変する。ヒカルの『Parody』なんかも、倉木麻衣が1stアルバムを大ヒットさせた直後の2001年にアルバム曲として宇多田ヒカルが歌ったから色々とニヤニヤ出来た訳で。『道』も、お母さんを喪ってから初めてのアルバムのオープニング・ナンバーだったからこそあんな風に輝いた訳で。そういった経緯(いきさつ)と歌われる時期と位置を抜きにしてそれらの作詞は成り立たない。

ヒカルがそれを常に意識してるのは、この2~3年の感染症禍を前提として『BADモード』に『Uber EATS/ネトフリ』といった歌詞を入れ込んできたことなんかからもわかるのだが、それはただ時勢を睨んでいるというだけでなく「そんな言葉を宇多田ヒカルが歌うから」というのがいつも途轍もなく大きいのだ。

そういう意味では「詞には名が要る」というのは紛れもなく真実で。ここでの「名」とは名誉とか名声とか有名とかの「名」だ。

ヒカルの作詞の技巧についての高評価は皆さんも知る所だろう。音韻の巧みさや旋律との符合など教科書に載せて学んで然るべき技巧の数々がふんだんに盛り込まれている。しかし、身も蓋もない事だけど、そういう技有りな歌詞とは全く別に、ヒカルの作詞って「メチャメチャ売れてメチャメチャ稼いでメチャメチャ有名になった」からこそ書けるものが結構あるのだ。それこそ『道』の『調子に乗ってた時期もあると思います』とかね。宇多田ヒカルが歌うからこそ面白い。作詞について教鞭を揮う人もこの点について指摘する人は少ない。「いい歌詞を書きたかったらまず先に有名になりなさい。なってからでないと書けない歌詞がこの世には沢山あるのだから。」だなんて教えてる人見たことない。

そういう意味では、ヒカルの作詞の技巧を純粋に評価できる作品は1stアルバム『First Love』収録曲のみ、という言い方も出来る。売れる前に書かれた歌詞ばかりだからね。先述の『Parody』の面白みもヒカルが有名になったからこそだし、『traveling』の『みんな踊り出す時間だ』のような一見普遍的な歌詞ですら、リスナーは「宇多田ヒカルがこう歌うんだから日本中が、いやさ世界中が踊り出す時間なんだ!」と(無意識のうちに)解釈出来るのだ。その「予感」で大ヒットした曲であったとも言えたりしそうよね。ライブハウスにしかリスナーが居ない人がそこで「みんな踊り出す時間だ」とか歌ってもその場の人しか踊らないのよ。世界中の人が踊り出すイメージは、湧かない。

なので、ヒカルの作詞はヒカルの立場にならないと書けない&響かせられないものが沢山あるし、ヒカルの立場になって歌わないとリスナーに届かないものも沢山あるのだ。詞のない器楽曲は純粋にその音だけで楽しめば良いのだけれど、歌詞を持つ歌曲という音楽は世界全体はおろか世界全体の過去と未来まで包含した上で楽しむものなのよ。近いようで全然別の概念なんよね。だから「作詞なんて紙と鉛筆だけあれば出来る」ってのは途中までは真実だけど途中からは欺瞞なんだ。一流のシンガーソングライターたちは、社会的成功を背景にしないと書けない歌詞を幾つも幾つも生み出してきてるんだよ。宇多田ヒカルは特にそれを活かすことを厭わないタイプであるという意味で、自らの社会的地位に対して敏感なのよさ。その上であれだけ親しみやすくて自然体で居られるんだから稀有極まりない人なのでした。