無意識日記々

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枕元の流行と足許の普遍性

『キレイな人』は御存知の通り『Movin' on without you』へのアンサーソング(の一種)だが、この間の23年間の月日を含めて考えるとそれぞれに味わい深い。

『汚れたドレスに

 いつもの私で何が悪ぃ』

この一節で、2013年の映画「アナと雪の女王」を思い出す。ディズニーがこの時期にこどもたちに向けて新しい女性観を届けたのは意義深かった(私は百合のつもりで見てたけども)。主題歌が「レット・イット・ゴー~ありのままで」だからね。『いつもの私で何が悪ぃ』の精神ですよ。

『汚れたドレスに裸足の私もいい感じ』も好きな歌詞だな。前に#KuToo運動というのがあって…って結構最近だな、2019年か。働く女性にハイヒールを強要するなという訴えだったが、ヒカルは1999年、20年前に『ガラスのハイヒール見つけてもダメ』と言い切っていた。それを受けての『裸足の私もいい感じ』だわね。ここらへん、通底する精神は共通している。

何が言いたいかというと、ヒカルの歌詞は、知ってか知らずか時代の先まで見据えていたということだ。その一方で『Movin' on without you』には『枕元のPHS』なんて(今にしてみれば)懐かしい小道具が出てきたりしていたので当時の時点で「イマドキの歌詞だねぇ」と言われていた。今では勿論古びれてる訳だが、こうやって振り返ってみても、廃れた小道具と、20年経っても揺らがない─どころかますます確信を深めていくスタンスの対比が鮮やかだ。こんな風に昔の歌を思い返すことになるだなんて、1999年当時、23年前は考えもしなかったな。

そして今。タイトルトラックの『BADモード』にはネトフリだとかウーバーイーツだとかの“イマドキの用語”が並んでいる。今回こうやって『キレイな人』と『Movin' on without you』の対比を通じて昔の曲が時間を経てどう響くかを一旦学んだ訳だが、しかし、だからといってじゃあ今目の前にある歌がまた20年なりの時間を経てどう響くかが予想できるかというと、これがサッパリわからない。単純に、じゃあ20年経ったらネトフリやウーバーイーツがPHSのように廃れているのか?それとも生活の一部として定着しているのか?いやいや、今よりもっと巨大化している?? 予測できている人もいるのかもしれないが、こういうことは私には全くわからない。この様子だと、20年後に『BADモード』を振り返った時にどう感じるかだなんてどう足掻いてもわかりっこなさそうだわ。でもそれはそれで、20年後30年後40年後を迎えるのが楽しみになるので、まぁいいかなと思うのでありましたとさ。