今日の「民間小型ロケット・カイロス2号打上」のニュースでNHKがその成果を「失敗」と報じていて、他の沢山の視聴者同様私も「その表現はおかしい」と憤った。
聞けば3月に打ち上げられた初号機よりも先のプロセスまで進んだ時点での飛行中断措置だったようで、それならそれは「進歩」でしかないだろう。もしこの開発チームが過去に不定要素のないマニュアルを作り上げ事前に目論んでいた行程全てをやり遂げた実績を何度も作った上での今回の飛行中断措置ならまだ「失敗」と呼べるかもしれないが、現時点でそこまで成し遂げた事のないチームにそれはない。世界ランキング100位くらいの選手が五輪初出場となった時、事前にメディアに「出るからには金メダルを目指します」と語っていて結果銀メダルを獲得したら「大失敗!」って言うの? 言わないでしょ。NHKの事だから身内にライバル関係者がいてネガティブ・キャンペーン張ってるんだろうかな。知らんけど。
…という長めの枕を書いたのは、こういう誤った表現を放置しているとクリエイターの皆さんが間違った批判を喰らうからだ。NHKの中の人は確信犯かもしれないが、“失敗”というものを誤解させるこのような言葉の使い方は、創造や制作に於いては害でしかない。
「失敗は成功のもと」とよく言う。goo辞書を引くと
「失敗すれば、その原因を反省し、方法や欠点を改めるので、かえってその後の成功につながることになる。失敗は成功の母。」
とある。これ自体はこれでいいのだが、創作の現場という特殊な局面では少し意味が変わってくる。というか、「失敗は成功の母」って言う方は、元々こっちの意味だったんじゃないの?
「幾つも失敗した時、そのうちのどれかは次の新たな創造への契機になり得る。」
こうなのだ。「お前のしたそれ、失敗と思い込んでるけど実は違うかもよ?」という“視点の転換”或いは“発想の飛躍”こそが重要なのだ。
皆さんの知る例は『One Last Kiss』のベースの録音エピソードだろう。A. G. クックがベース・トラックを入れ忘れたままヒカルにデータを送った件だ。もしヒカルが、小型ロケットの飛行中断措置を「失敗」と呼ぶような感性の持ち主であれば、A. G. クックの「元々持っていたベース・トラック」こそが“正解”なのだからと固執して、何とかしてトラック・データを送り直して貰っていただろう。現実のヒカルは勿論そんなことはせず、「ちょうどジョディが居たからベース入れて貰ったらいいのが出来た♪」とそちらを採用してしまったのだ。当然、これは当初ヒカルもA. G. クックも想定していない「ジョディの弾いた人力ベースライン」であったのだが、こういう「後から生まれた新しい正解」が“失敗”の先に潜んでいる事は物凄く多い。なので、創作の現場では失敗を全部捨てたりしてはいけないのだ。注意深く、常に耳を欹てて新しい産声に気付け続けなければならない。
故に、NHKの報道のようになんでもかんでもネガティブに捉えて次なる成功の芽を摘む様な行為は避けるべきだ。だがここでNHKの報道姿勢を単に非難するだけでは同じ穴の狢。そこから何を学べるか、次に活かせるか。3号機の打ち上げが未来にあるならその時にまた其々に期待する事にしよう。
それはさておき、先程取り上げた『One Last Kiss』のMVのYouTube再生回数が9500万回を超えたそうな。来年には1億回再生なるか。楽しみですねぇ。OLKMVは人類史上最高傑作映像のひとつなので、本来なら80億回は超えてないとマズいと思うんだけど、まぁそれはまたいつの日にか!