無意識日記々

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私がいちばん答えて欲しかった私の質問

『40代はいろいろ♫』から2週間が経過したけど、そういえば今回は『ヒカルパイセンに聞け!』の時のように寄せられた質問にTwitter上で幾つか答えることはしないのだろうか。

https://twitter.com/utadahikaru/status/1389504895628218373

あぁそうか、今回は予め何を喋るか決めてたって言ってたから滞りなく答えたい質問に答えれたのかな? まぁそれならいいんだけど。「この質問には答えたかったのに!」ってのが毎回出てくるっぽかったからね。

あたしも今回幾つか質問をしたが、これに答えてくれたら面白いだろうなと思って呟いたのが

「歌作る時って記憶をくべてる気がしない?」

https://twitter.com/i_k5/status/1602323784115326976

という一文。「くべる」ってのは「焼べる」と書く。「暖炉に薪を焼べる」っていうあれですよ、燃やすために放り込むってこったね。薪が無くなる代わりに我々は暖が取れる。同じように、思い出が無くなる代わりに歌が生まれるんじゃないかなと。

ヒカルさんて、聞いてると案外記憶力がないんすよ。こっちが覚えてる事を覚えてなかったりね。曲の仮タイトルとか、布団カバーの付け方とか(笑)。我々では考えられないくらいに頭の回転が速くてとんでもない情報量を駆使して作詞作編曲してるだろうに、データ的なことをよく忘れてる。あとよく告知を忘れとるけどまぁあれは関心が薄いだけだろうな。

記憶って思い出す度に改竄されていくのよね。面白いことに、何度も思い出した記憶ほど変質しやすい。YouTubeで大昔の番組の動画が実際に上がってるのにそれを観ても尚「俺が30年前に観た映像はこれとは違う」とか言い始めるのよね。いや年寄りにしかわからん話題だなこれ。

歌を作るってこれの応用なような気がしててな。自分の中のあらゆる記憶や思い出を引っ張り出しまくってそれをあれやこれやと捏ねくり回したりしてるうちに歌が出来上がってくるんじゃないかと。ある意味、もうその個別の記憶は思い出せないんだけど、それらが昇華して(消化されて?)ひとつの歌として結実することで“遺されて”いくような気がしてるんですよ。特にヒカルの作詞はそれくらい脳を酷使して捻くり出してる気がするのです。

そういう過程を経るから、普遍的なテーマが抽出されていくんじゃないかなと。記憶や思い出ってそれだけだと個々人の属人的な価値しかないのよさ。語られたって何が思い入れで何が思い出なのかわからない。それらから『Everybody feels the same』な歌詞や楽曲を創り出す為には、自分の記憶や思い出が自分のものでなくなってしまうまでに想起と再構成を繰り返してるんじゃないかな~って。だからヒカルさんて物事を忘れることに抵抗がないというかそれが日常になってるような、そんな風に私は妄想するのでした。

なので、この私の「歌作る時って記憶をくべてる気がしない?」っていう質問には答えてみて欲しかったな!なんて今更ながらに思うのでありました。、、、今から答えてくれて全然いいからねヒカルパイセン?(笑)