無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

圭子「歌うよ」フレディ「歌うよ」


ツアーとなるとどうしてもこっちとヒカルの間で価値観の齟齬みたいなものが顕在化しちゃうのよね。昔からの悩み。


何の話かといえば。あたしゃヒカルがその日調子悪かったら率先してコンサートを中止して休養に当てて欲しいと思うのよ。当然自分が観に行った公演であってもね。地球の裏側(リオデジャネイロとかね。行ったことないけども。)まで遠征に行ってたとしても。それで喉を潰す結果になるのなら歌わないで欲しい。この星の宝であるその喉を酷使するなどもってのほかだと。喉ってのは一晩の無理が何年も祟りかねない。筋肉だからね、スポーツ選手の怪我と変わらんのですよ。ニュースでも時々報じられてるよね、選手が怪我してそのシーズンを棒に振るとか引退に追い込まれるとか。歌手も自らの肉体を駆使してパフォーマンスする点では同じなので、兎に角今後のキャリアのためにも、引くべきラインを安全側に大きく倒して欲しいところなのです。


ところがヒカルさんが公演を休む(中止・延期する)のを蛇蝎の如く厭っているのは昔からのファンならご存知でしょう。


https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/from-hikki/index_97.html


この時のメッセを読んで「いやいや、うちらなんか具合悪かったらもっと気軽に仕事休むんやで…そこまで悔いなくても…」とこちらが申し訳なくなってしまった人は数知れず。確かにこの時は公演直前というタイミングの悪さもあったし、代えのきかないスーパースターならではの責任の途轍もない重さってのもあっただろうけど、いや急に体調悪くなることだってそりゃあるよね…そういう時はゆっくり休んでよ…とこちらは思うんだよ。


UTADA UNITED 2006』の時も、手術寸前になるまで喉を痛めながらも総ての公演を歌い切った。確かに、どれだけ危うかろうと結果が総てであって、この時のヒカルは見事に「賭けに勝った」のだし、以降のコンサートはしっかり「ツアー全体でのペース配分を守る」コツを掴んだ為、今やヒカルの不調を憂いる機会はほほない。素晴らしいプロフェッショナリズムなんだけど…やっぱりそれでも、今でも「具合が悪くなったら躊躇わずに休んで欲しい」と思ってしまう。そう言われることがヒカルのやる気を削ぐかもしれないというリスクを重々承知の上であっても。


何故ヒカルさんはそこまでステージを休もうとしないのか?と考えた時に浮かぶのは、やっぱり歌手・藤圭子の存在よね。どんな時でも、旦那とケンカしてる最中だろうが何だろうが時間になったら必ず舞台に立って歌い始める母の後ろ姿が原風景として強烈に焼き付いてるんじゃなかろうか。つまり、ヒカルにとって歌手とは「何があろうと舞台に立って歌う者」なのだろう、と。


更にヒカルのモスト・フェイバリット・シンガーであるフレディ・マーキュリーがクイーンに遺した最後の名曲(と言い切ってしまう)のタイトルが“The Show Must Go On”だからね。「ショーを止めちゃダメだ」。フレディが亡くなったのはヒカルが8歳の時だから、これまた魂に刻み込まれてる言葉なのかもしれない。


となると、ヒカルが何があってもステージに立とうとするのはもうアイデンティティそのものなので、その気迫と気概に水を差す気にもならないのさ。ジレンマ。


だが現実においては、「そこまでいかなければいい」のだ。健康に安全に、ツアーを滞りなく乗り切ってくれればそれで何の問題も無いのよ。齟齬やジレンマに全く辿り着かなければ何の問題も起こらない。現実はそんな都合よく行かない、と言いたくなるのもわかるけど、そこは貪欲にいきたいわ。プレミアム・チケットのもたらす収益総て注ぎ込んででもヒカルの健康と安全をケアして貰いたいものですわ。兎に角今、ここから9月1日まで、何をいちばんに祈りたいかといえばヒカルパイセンの健康と安全なのでした。…って、あれ?これって別にツアー時に限らずいつもそうか…そうですね…毎度SNS更新された時に最初に口をついて出るの「元気そうなのを知れてよかった」だもんな。何も特別なことは、なかったわ。ツアーがあろうがなかろうが、毎日無事で穏やかな一日を過ごしてくれている事を、相も変わらず祈っていますよ。