無意識日記々

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組細工から香水へという流れ

ヒカルの歌詞の分類を考え眺めていると、つくづく「歌詞」というジャンルは独特の価値観と方法論が必要だなと痛感する。

音楽が基調にあるとはいえ基本は言語、言葉だ。言葉である以上受け手の記憶に訴えかけるしかないのだが、そこでどれくらいの具体性が出せるか、正確に情報が伝えられるかという視点で見始めると甚だ心許ない。長編小説であれば部屋の中の調度がどうなっているかとか中庭にどんな花が咲いてあるかとか事細かに描写することでそれなりに精度の高い情報伝達─記憶合成処理が出来るのであるが、歌詞には激しい字数制限がある。そうそう細かいことは言っていられない。

なので、物語を語るなら大枠で語るしかないし、そうそう話を展開することも難しい。となると、なんらかの一場面における感情の表現が主軸になってくる。まぁそれがラブソングというジャンルだ。

一方、人生論を語り受け手を鼓舞するような、と書くとものものしいがつまりはそういうのはメッセージ性の強い応援歌の類で、これはヒカルには少ない。多いのはそのラブ・ソング系統の、恋愛感情の機微を描いた作品だ。

その中であってもやはり初期の作品は3コーラスの構成を明確にした作品が目につく。先週触れた『In My Room』もそうだし、3時4時と時刻が推移する『Movin' on without you』や最後に『ほんとはワケなんていらない』とタイトルごと卓袱台をひっくり返す『Give Me A Reason』、本音の吐露までの為にAメロBメロとサビで対比を構成する『Addicted To You』、最後に急にこっちを向いて『キーが高いなら下げてもいいよ』と歌いかけてくる『Wait & See ~リスク~』など、楽曲全体の構成の中でちょっとしたサプライズな仕掛けを組み込むのが主だった手法だった。こういうのを、ヒカルがいうところの「組細工」系統の歌詞だと考えたい。それが、ここから、あクマでも全体としてではあるが「香水」系統の歌詞が増えていく、ということなのではないかなと。その経緯をこれから追々見ていくこととしようかな。

コウモリのコスプレ

この間【今日は何の日宇多田ヒカル】で『さきほど、生まれて初めて、みそ汁を作りました!』という内容のメッセを紹介した。2009年なので11年前のだ。

人は味噌汁を初めて作ってから11年もすればこどもを連れ立ってコウモリのコスプレでママ友と交流するところまで行くんだなぁと妙に感心してしまった。いや、そんなの明くる日でも有り得る事ではあるのですがね、生まれて初めて味噌汁を作ったのが25歳の時だったというところからすればなかなかに「思えば遠くへ来たもんだ」なのではないかとな。

自転車にまともに乗れないとかもそうだけど、早熟過ぎてあれやこれやと抜けが出来てたから人間活動で色々と補完したという流れは周知なのだが、では何がどうなったのかと言われると皆知らない訳でな。ぶぉっと結婚してすぱっとこども産んで今ロンドンで育ててる。『KUMA POWER HOUR』のリスナーだったのなら、ある程度は「こいつイギリス在住らしい選曲もするな」みたいなことでなんとなく空気は感じ取れてたかもわからないが、そういう嗅覚の無い人(ってファンの99%はそうだろうな)は、どうにもヒカルの生活感が掴みづらいというか、ミステリアスではないにしろなんだかいつの間にか「おかきとかも食べるんや」に戻ってしまっていたのかもしれない。

なのでこうやってテレビに出てふらっと「日々」の垣間見れる所を囁いてくれると急に距離感が修正されて驚く。いや、言われてみればそうだよな、それくらいするわな、という。誤解していたというより、どこらへんにイメージを置けばいいかそもそもわかっていなかったというか。

なんでそんな人の書く歌詞がこれほど多くの人の心を打つのか、冷静に考えると非常に難しい。どこから「共感」を生み出しているのやら。「テレビの局がわからない」とかテレビっ子からしたら凄い乖離よ。あたしもアナログ放送時代は一瞬でも映れば使ってるフォントと色調整で即座に放送局を言い当てたもんだ。それは極端だが、生活の近いところも遠いところもありつつ、特にファンタジーでもない歌詞が胸を打つというのは、例えば小説では難しい。ディテールを描く事でリアリティを担保したりするのだから。実在する地名を出したりね。ヒカルの歌はそれをしていない。

「香水のような作詞術」っていうのは、そういう、具体的なディテールではなくて、言葉そのものの手触りをうまく使うことを指しているのかも……とか思いつつ前回の続きはまた次の機会にね。

香水と組細工

でもまぁやっぱり白眉はこれだよね。

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もしかしたら あの

作詞家としてはいろんなタイプがもちろんいますけど

私自身と近い方向のグループ分けできるような

タイプなんじゃないかなと

これを作りたいとか こういうものを作りたいとか

こういうものを見せたい

っていうタイプとはちょっと違って

メッセージとかが軸にあるというよりは

言葉の あの~言葉とか言葉の配置?が

人に与える印象とか効果みたいなものを

よく把握してらっしゃって

なんか組細工みたいに

こう 建築物をこう ドーンっていうタイプではなくて

どっちかっていうとこう香水を作るみたいな なんかこう

濃度とか 何かを調合して 濃度をコントロールしながら

初めて嗅ぐ人がいて完成するみたいな

そういうタイプの作品に感じたんです

私もそっち系だと思ったんで

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あんな短時間でこうも濃密なコメントが出来るかね。感心通り越して呆れるわ。

作詞家の分類については、既述の通り今まで私にはその発想自体が無かった。ヒカルにしたらどうだったのだろうか。井上陽水という人が目の前に居たから自分の作詞術を客観的に見る機会を得た、という考え方もできる。

プロデューサーとして自身を客観的にみる視点と視線は必要だ。「マツコの知らない世界」でも自分がバラエティー番組に出演した時の浮きようについて触れていたけど、外からみてどうなのかというのはみられるきかれる仕事をしている以上避けて通れない。

要点は、ヒカルと似たタイプが存在したことそのものだ。井上陽水。日本初のミリオンセラーアルバムを創った人。彼のような後世に伝説的と言われるような人と更に伝説的な宇多田ヒカルを同じカテゴリーの作詞家だと言えてしまうのは、何が非常に合点のいく話かもしれない。常々ヒカルは同じくアルバム合計37週連続1位という伝説そのものの母・藤圭子と歌手として比較され続ける運命にあるが、一方で裏方として、クリエイターとして比較される(できる)対象として井上陽水が“居た”訳だ。

具体的にみていこう。組細工/建築物と香水という対比。ピラミッドのように、作った人達が滅んでも依然としてそこにどんと存在するような、人から独立して組み上がっているような歌詞。俄には想像しづらいが、例えば最初期のヒカルにはその気風が幾らかある。『Never Let Go』や『In My Room』などがそうだが、言葉をブロックに見立てて、同相の位置に相似と相違を組み合わせて配置していく。要は1番と2番と3番で似たようなでも少し違う言い回しを扱うようなスタイル。音韻と構成を重視するヤツだね。

一方香水というのは、言葉のニュアンスそのものに注目する。例えば、『道』の『調子に乗ってた時期もあると思います』なんていうのは、リスナーの心の準備との駆け引きだ。こういう機微の差異を微妙についてくるところが……いやこの話はもっと突っ込んでした方がいいかもな。次回に続くと致しましょうか。

井上陽水による宇多田ヒカル評

昨年末12月27日のNHK井上陽水特番でのヒカルのコメント出演も振り返っておこう。

まずは、(恐らく初めて)井上陽水に会った時の第一印象について語ってくれています。

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ライブの楽屋で

私の父と陽水さんが一緒の空間にいたっていう時に

なんか あれ?ちょっと見た感じ似て…似てるかもって思って(笑)

醸し出すパワーが威圧感ってとられちゃうことがあって

怖がられちゃうこともあるんだけど

本当はすごく柔和な気さくな

こう ジョークをよく言うような人っていうのも

なんか他人に思えないというか

親戚のおじさんだよって言われて出会ってたら

あ そうなんだって思ってたんじゃないかな

っていうふうに感じてました その時

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まさに「その発想はなかったわ」ってヤツでした。いやはやまさか井上陽水宇多田照實を重ね合わせるとは…盲点だった。いや気づいてなかったの私だけ? 「長身×サングラス」の…そういや同い年だよこの2人。お互い1948年生まれ。うちの母と同じ年だわ(それは今は全く関係ない)。なるほど似てるとこある。

そっかー、確かになー。あの年代で180cm前後の身長って目立つんだよね。うちの父がそうだから(それも関係ないだろ)。年寄りの癖にデカい。そしてグラサン。ちょっと近寄り難いよね。

とはいえ陽水も、出たての頃は兎も角、テレビでタモリと絡んだりなんかする時に剽軽な一面を殊更前面に出してたりして結構柔らかいイメージもあるんだが、そういやヒカルは知らないのかそういうの。初期の歌だけ聴いてたら彼のセンス・オブ・ユーモア的な側面は気づけないかもね。

だけど照實さんで慣れてたから「見た目強面だけど面白い人」というのにすぐに馴染めたと。そらゃヒカルもリラックスして接するわけですよ。

かたや陽水の方は結構緊張してたんだろうね。この落差(笑)。

で。番組では「宇多田ヒカル井上陽水を語る」のと共に、「井上陽水宇多田ヒカルを語る」パートもあった訳で。彼の台詞の方も文字起こししておこう。

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随分前になりますけど 僕のライブに彼女が突然来て

「Automatic」を歌った記憶があるんですけどね

あ「Automatic」分かる分かる

まぁ ステージに出ればなんとなく歌えるんじゃない?

って思って出たら

もう全然歌えなかった 失礼しました(笑)

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まずこれである。つまり何が言いたかったかというと、「ヒカルさんが『Automatic』を事も無げに歌っているので簡単な歌なんだろうと思ったら無茶苦茶難しかった」即ち「難しい歌も軽々歌える天才なんです彼女は」という話を婉曲的にしてくれてる訳だな。ちゃんと笑えるエピソードとして纏めてくれているあたり彼のサービス精神旺盛なところが垣間見える。

更にヒカルの『少年時代』についての評はこうだ。

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もううちの娘なんか涙が出たとか言ってね

やっぱりね

歌う人が違うと泣くのかうちの娘は と思いました(笑)

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これも皮肉っぽい笑い話として纏めてくれているのは流石だが、普通こんなこと言えないよね。シンガーソングライターが自分の作った曲を歌ったパフォーマンスより優れていると真正面から認めるだなんて、プライドが邪魔して難しいと思うんだが井上陽水はキッチリ白旗を上げて降参してくれている。潔い。それだけヒカルのことを素直に尊敬しているのだろう。34歳も年下、まさに娘の年代の女性に対してこういう態度に出られるってのは、やっぱ偉大だなぁとこのコメントに接して改めて思ったですよ。

番組が始まる前は「宇多田ヒカル井上陽水を語る」方ばかり予想していたので、こうやって「井上陽水宇多田ヒカルを語る」のを聴けたのは予想外の僥倖であった。スタジオ収録の方法はわからないが、ヒカルもオンエアで初めて「井上陽水による宇多田ヒカル評」に接したのかもしれない。だとするとこれまた少し気恥ずかしいかもしれないね。いや、オンエア観てない可能性もあるか…出演者に完成品のファイル送ったりしないのかなNHKは。昔DVD焼いてくれたこともあったねぇ懐かしい。それはさておき。

という感じで次回以降、他のコメントについても触れていきますよっと。

何の変哲もない御礼ツイート

@utadahikaru : 「マツコ知らない世界」お正月特番たくさんの人に観てもらえたようで嬉しいです。スタッフの皆さん、ありがとうございました!マツコさん優しくて面白くて本当に楽しかったです。収録後、マツコさんの大ファンの私の事務所スタッフにサインと記念撮影までしてくださってみんなで感激してました/午前1:33 · 2020年1月9日 Twitter for iPhone

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なんで最後の絵文字がゾンビなんだとツッコミつつ。午前1時半というとロンドン時間なら16時半か。夕刻だね。テレビ出演の御礼ツイートってのも珍しい。よっぽど今回の仕事気に入ってたんだろうな。ジャラーン。

マツコの大ファンなのが事務所のスタッフというのも正直でよろしい。あんたは別にサイン要らなかったのねと。マツコの方がヒカルのファンだから寧ろサインを書いてあげたのかもしれないしな。そんなのは送り送られですわ。で、こんな事書いてるのに関係者にひとっつもメンションを送ってないしハッシュタグもつけてない所がなんというか。これ、そっちから勝手に見に来いやってことですよね?(笑) それで不満を言う人は居ないでしょうが。尊大で実によろしい。(冗談ですよぅ)

ついでに番組名も間違ってるね。うちのAndroidは「マツコの」まで打ったらAutomaticに「マツコの知らない世界」って出てくれるのにヒカルのiPhoneは違うのだろうか。或いは推敲してるうちに間違って消したか。こんな何の変哲もない御礼ツイートでも行きつ戻りつして字を消し書き消し書きしてるヒカルの姿を想像すると萌える。

あと今は無料で見逃し配信が観れるのだからそれも宣伝してくれりゃいいんだがな。普通にCM沢山入るし局としてもそっちの方が嬉しいんじゃないだろうか。1週間限定だけどね。

……あれ?俺結構普通の事書いてる?(笑) いや別に普段も気を衒ってる訳じゃないんだけどね。昨夜は中東情勢の話なんかしちゃって空気が重くなったから、こうやって極普通のツイートをして貰えたのがとても有り難かったというかなんというか。朝からほっこりしちゃったんですよ。(1時半には既に寝ていたのでした)

またこうやって極々当たり前の呟きが降りてくるのを待ちつつ日々を過ごしていきましよーかね。