無意識日記々

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今日こそは神憑りな詞を期待して

アルバム『Distance』に収録された『サングラス』という曲は何とも微妙な立ち位置の曲だ。『ヒカルの5』の時に真ん中のインターバルで収録映像パフォーマンス(リハーサルシーン)が流された曲、といえばその微妙さがわかりやすいか。生で歌われなかったとしても極力ガッカリされない、しかし聴けてよかったと思えるような曲。少なくともシングル曲の扱いとは異なる。

実際、この歌を聴き始めると宇多田ヒカルの歌詞の常套句が並んでいていまいち強い個性が感じられないことに気付く。強がってるけどほんとは傷ついてるとかファッションにケチをつけたりとかお互いを化かし合ったりとか青空だとか雨上がりだとか密かな約束だとか他の歌の歌詞でもみられるような単語や言い回しが次々と出てくる。それだけヒカルの本音がダイレクトに(ある意味油断して)出まくってる歌だということもできるが、もしそれだけだったらこの歌はボツになってたんじゃないかな。

これだけ(ヒカルにとっての)定型句を並べた歌詞が、しかし、最後の最後に

『同じ立場じゃなきゃ分かってあげられないこと

 神様ひとりぼっち?

 だから救える』

の一節を繰り出してくるから堪らない。ここまでの惰性感はどこへやら、まさに他に類を見ないキラーセンテンスだと思うのよここ。こんなに独特な視点と気づきを与える一文は、如何に宇多田ヒカルといえどそうそうは書けまい。逆に言えば、ここに辿り着いた歌だからこそこの歌はアルバムに収録されたんだと思う。

どういう順番でこの歌の歌詞が完成したかわからないが、このキラーセンテンスって『サングラス』の歌詞を書いてる中でふと出てきたのではないかな。いつも言いたいと思ってる事をただ言っていく中でいきなり生まれたように想像する。なんか、異形というと際どいけど、こんなの普通考えつかないよね。神様の身になって考えて、神様も気づかないような視点に辿り着けるだなんて。

こういう、手癖口癖から思わぬ所に辿り着くことがあるから創作は面白く、だからこそ、受け手の方は「それもう前にやったじゃん」と安易に批難せずに創作の行方をじっくり見守るのが大切なのだ。もし今後ヒカルが二番煎じ的に聴こえる曲を出てきたとしても、軽率な評価は下さない方がいい。このサングラスの歌詞のように、どこかの時点でいきなりとんでもないものが生まれてくるかもしれないからね。

熊害とくま益の光と影

日本各地での熊害事件の報を耳にする度にヒカルが胸を痛めてるだろうなと想像する。日本のニュースをどこまでチェックしているかはわからないが。

ライオンも虎もワニも野生では生息しない日本で人間にとって最も危険な動物は熊になる、だろう。そこまで生息数が多い訳ではないが、人間の生息域のすぐ隣に居るということで例えば鮫のようなケースとは訳が違う。地域によっては普通に暮らしているだけでも遭遇する。

ヒカルも指摘していたように、後ろ足で立てるというのが何より怖い。実害というより、人間て案外哺乳動物の中では大きい方なので、上から見下ろされるってのがなかなかないのよね。だから熊は畏怖の対象として扱われてきた。

一方でぬいぐるみのくまちゃんは安らぎを与えてくれる存在で。0歳児ですらそれを胸に抱いて眠る。ヒカルのファーストくま写真とかもあったねぇ。こちらは或いは守り神のような存在だろうか。

実際、『Single Collection Vol.2』や『WILD LIFE 2010』のときはぼんじゅーるくまちゃんがお守りとして登場していた。やっぱり神様みたいな存在なのだろう。最も、日本流に、八百万の神のひとつというか、崇拝というよりは身近に潜んでる方だろうけど。

『Time』のMVでもみられるように、相変わらずヒカルはくまちゃんLOVEである。それが現実の世界の熊に対する関心まで引き起こすとまでは当初思っていなかったのだが、そもそもの熊が畏怖対象として神々しさを放っているからそのぬいぐるみが神性を帯びられている訳で、それはヒカルの中で、かなり早い段階から繋がっていたのかもしれない。つまり、人を襲う程に強い存在を前提にしてくまちゃんの安らぎは生まれたのだ。最初の最初にプレゼントされた時は「わぁかわいい」と思っただけかもしれないが、現実の熊がいなければくまちゃんは「得体の知れない謎のクリーチャー」になっていたかもしれない訳で、その愛らしさは熊の存在なしには有り得なかった。

思い出してみると。『ぼくはくま』の絵本でもぬいぐるみ風のくまちゃんと写実風の熊の親子が対比して描かれていた。現実の熊は有性生殖なので親から生まれるが、ぬいぐるみのくまちゃんに親は居ない。その哀しみは、くまちゃんから現実を生き抜くからこそ起こる熊害の暴力性をこちらの都合で拭い去った代償のようにも思える。現実の熊を見据える事でヒカルはますますくまちゃんを愛おしく思うようになった事だろう。故に現実の熊害はヒカルにとって全く他人事では無いはずなのだ。被害に合われた方々に心からお見舞いを申し上げたいと思います。

我輩、宇多田ヒカルの尖った曲大好き侍でござる。

『初恋』は素晴らしいアルバムだが、無理矢理に過去と比較するなら「尖った曲」が足りなかったかなと。

「尖った曲」というのは、感性が鋭角的で、いうなればサウンドか歌詞か歌い方かの中に触れれば切れそうな感覚が潜んでるようなタイプの曲だ。まぁあれだ、あたしが初めて『Movin' on without you』を聴いた時に「なんて尖った感性なんだ!」と思ったからそう呼んでるだけなんだがね。

他にその系統に(自分の中で)分類しているのは『Addicted To You』とか『Wait & See 〜リスク〜』とか『Letters』とかそういうヤツですね。頂点に立つのは『Prisoner Of Love』。そゆ曲。

アルバム『初恋』の曲というのは、アップテンポであってもおおらかというかスケール感重視で、スリルとサスペンスという感じではなかった。先入観バリバリで言えば「いかにもお母さんになった人らしい」曲調が並んでいた。もっとこう、思春期のジャックナイフみたいな危なっかしさが炸裂するような曲はもう年齢とか育児とを考えると聴けなくなるのかなと思っていた。

そこに登場したのが『Time』だった訳ですよ、えぇ。昔のままではないけれど、なかなかにシャープなメロディーと刺激的な歌詞でとてもよかった。

「尖った曲」というのは必ずしもテンポが速い必要はなくってな。『Addicted To You』なんかもテンポ自体はミドルテンポというか決して速い曲ではないんだけれどサビのメロディーの切れ込み方がスリル満点なんですよ。ああいう感じが鋭角的、シャープだなぁと思うのだけど、『Time』にはその往年のシャープネスが幾らか復活したなと。

で。ふと思い直してみると、『Face My Fears』ってメロディー結構シャープじゃない? なのに、『Time』みたいな歓迎のされ方をしなかったのは、恐らく多分だけど、Skrillexならではのサウンド風味が強過ぎてそっちに印象が引っ張られてしまったからではないかなと。なので、もし『Face My Fears』が次のアルバムに収録される時に、例えば『Addicted To You』の『(UP-IN-HEAVEN MIX)』と『(UNDERWATER MIX』』みたいに対になるリミックス・ヴァージョンに生まれ変わっていたら面白いなと。で、その時によりシャープに鋭角的なサウンドに変わっていたら、これがなかなかフレッシュなアルバムになるんじゃないかなと。『Time』もあるんだしね。

『初恋』の優美で雄大サウンドも勿論素晴らしかったが、こちらの緩んで油断した心に鋭く切り込んでくるようなメロディーと歌詞を繰り出してくるのもまた宇多田ヒカルの真骨頂で。コロナがどうとかで鬱屈が溜まっているリスナー達の溜飲を下げるような曲調が増えてたりすると、なかなかいいんじゃないかと思いますのでした。シンエヴァの主題歌とか、どんな曲調なんだろうねぇ? これもアルバムに入るんだろうからな……どうなることやら。

地上波ジレンマ

週末は「鬼滅の刃」の話題性が凄かった。全く興味の無い人でも目に入ってしまい気にせざるを得なくなる状況。こうなってくるとかなり鬱陶しい。

あたしはまだその劇場版の「無限列車編」とやらは観ていないが、テレビシリーズと変わらぬクォリティということでそれなら何の心配も要らないかなと。二週連続総集編ゴールデンタイム枠放映という地上波放送の後押しもあってか金土日の3日間で40億円くらい稼いだのではないかと言われているようだ。何それ「君の名は」どころか「千と千尋の神隠し」まで凌駕するペースにならんか。

今や泣く子も魅入るジブリ映画だが最初から最強の興行という訳ではなかった。そもそも「風の谷のナウシカ」はジブリじゃないし、「天空の城ラピュタ」もそこまで圧倒的な数字を残した訳では無い。「となりのトトロ」&「火垂るの墓」が名作扱いされるのは後年になってからだ。

ジブリ映画が特別になったのは「魔女の宅急便」からである。この映画からバックアップに日本テレビ系列が加わったのだ。その効果は凄まじく、興行成績はそれまでの三倍に跳ね上がり一挙にジブリ映画が「夏の映画の定番」に躍り出る。毎回その季節になると過去のジブリ映画をテレビで放送してどんどんと需要を継続していった。その昔裏番組のドラマ(つまり収録作品)で「何度目だナウシカ」と弄られたくらいにその影響力は定番化したのだ。

新世紀エヴァンゲリオン」もまた同じく途中から日本テレビ系列の協力を仰ぎ始める。何しろもともと関東ローカルの放送局テレビ東京の夕方アニメだった作品だ。それがこうやって劇場版主体に移行した事で過去映画作品を日本テレビで放送する事が出来るようになった

ヒカルも曲によっては日本テレビと出版契約を結んでいたりするが、結局、このスケールになってくるとどう足掻いても地上波テレビの影響力を視野に入れなくてはならなくなってくる。最近では、『真夏の通り雨』を半年間平日毎日流してくれたり「NEWS ZERO」でトーク&パフォーマンスを披露してくれたり、またドラマ「美食探偵」の主題歌を担当したりと着実な関係を築いている。出演してる当人にとっては現場で会う人が総てだろうから日テレ云々というのは気にかけていないかもしれないが、視聴者の方は「テレビで観た」という認識だろう。まぁ、ズレがあるよね。

恐らく、1月にシンエヴァを控えて、ヒカルもまた地上波に露出が望まれるかもしれない。といっても、それまでにロンドンの状況が改善される期待は持てないからあるとしてもリモート出演になるのだろうか。どうせなら誕生日ストリーミングのスポンサーになってくれればいいんだけどねぇ。流石に無理かな。

「最近のテレビはつまらなくなった」は「最近の夏は暑くなった」と同程度に言われるようになっている。最早挨拶代わりだ。と言っても、こちらとしては「インターネットが便利になり過ぎた」というだけでそこまでテレビが没落したとも思っていない。視聴者数の差や比は文字通り桁外れのままだ。いくらヒカルがマスメディアに対してトラウマを抱えていてもあと10年20年は付き合い続けなくてはなるまい。逆に言えば、この感染症禍下で体よく出演を断れる現況は僥倖かもしれないね。ヒカルの姿を地上波で観たい向きにとってはジレンマはまだまだ続くかと思われますよっと。

20210123:||

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の封切日が2021年1月23日土曜日に決まった。当初の予定日だった今年の6月27日土曜日から遅れる事30週。漸く、だね。

この日付を見た瞬間に思ったのは「ヒカル38歳の誕生日の4日後じゃないか!」という事だった。なんだろう、もう『20代はイケイケ!』の時みたいに誕生日を記念して生ストリーミンクで出来たてホヤホヤの新曲を生で歌ってしまえばいいじゃないかというタイミングですわ。来年の1月19日は火曜日平日だからなかなか当日のストリーミング企画は難しいだろう。となるとやはりその週の土日あたり、つまり1月23日か24日に企画するのが妥当なのではないか。ふふふ、なんて楽しみなんだ、、、

、、、っとと、来年のことを言うと鬼が笑うというし、何しろまだヒカルがシンエヴァの主題歌を歌うと決まった訳では無いのだから取らぬ狸の皮算用もいいところなのだが、ここまで引っ張っておいてエヴァの映画の歌を宇多田ヒカル以外が歌うだなんて高橋洋子を引っ張り出してくる以外無いわけで……って、嗚呼、まだその手があるんだな……いやまぁええわ。二人とも起用するのが大団円に相応しい、かな? どうだろうね。

兎にも角にも、これで1月にヒカルの新曲が聴ける可能性がぐっと高まったというのがいちばんの喜びどころだよ。もう余りにも長く待ち過ぎて今やエヴァ本編に何を期待すればいいのかわかんないもんね。エヴァQからこっち8年余りで周囲のアニメのクォリティは更に上がった。来年のシンエヴァは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの美意識と鬼滅の刃の騒擾を皆が目撃した後に登場する事になる。世代交代も進んでいる。誰が観に行って何を感じられるのか? ある意味、それが全くわからなくなるまで引き延ばし続けてきたのかもわからないな。期待が疲弊してくれれば自然とハードルも下がるだろうし。ということでアニメ本編については今は置こう。

だが宇多田ヒカルファンのハードルは高いぞ。序と破では『Beautiful World』を、Qでは『桜流し』を提供したのだ。これらに類するインパクトを残さねばならない。作り手としてのプレッシャーは過去最高だったのではないか(もう作った体で話してますね私ね)。特に『桜流し』はこれまでのキャリアの中で最高傑作なのではないかというくらいにとんでもない曲だったので、今のヒカルでも全力を超えた所で何かを掴まないとこの場に相応しい楽曲を生み出せないのではあるまいか。それが38歳の誕生日の直後にお披露目されるとかなんともいやもう今からハラハラドキドキワクワクが止まらないわ。(……先走り過ぎ。)

最初に『Beautiful World』を提供したのが2007年、ヒカル24歳の時だった。あれから13年余りで様々な事をヒカルも体験した。離婚して結婚して離婚してその間に母を喪い愛息を得た。彼の寝顔を見ながらBeautiful Boyだと思った事もあるかもしれない。桜流しを振り返りながらこれも母への鎮魂歌になったなと顧みているかもしれない。新しい年が希望に満ちているというヴィジョンが見えない現在の世相だからこそ、ヒカルの歌はより深く響くだろう。今日からもう1月23日まで待機モードだ。その日が来るまであと99日デスッ!