無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

セレブレーションの解釈違い


「EIGHT-JAM」に於いて、『traveling (Re-Recording)』を共同プロデュースしたTakuさんが、「"お祝い(Celebratory)"だというからハッピーなトラベのデモを送ったら解釈違いだった(苦笑)」というエピソードを披露していた。いやはや、同情しちゃったな。


あたしも同じような解釈違いをしていたので。


世代が違う人はわからんかもしれんが、たとえばクール&ザ・ギャングの「セレブレーション」(1980年の全米1位曲)。ありゃ「パーティだ、みんなではしゃごう!」って歌詞でな。あれを「お祝い」って日本語にすると「何のお祝い?」って訊かれちゃうよね。もちろん何かを祝っててもいいんだけど、どちらかというと「この楽しい時間に乾杯!」みたいな意味での“お祝い”でしょ。


もういっこ、PFMの「Celebration」はどうだ?(イタリアのプログレ) あの曲はイタリア語版だと“La Festa"、「お祭り」なのよね。つまり、「お祭り騒ぎ」「祝祭ムード」のことなのよセレブレーション。


って、読者に通じそうにない例を2つもあげてしまったけど、要するに少なくとも年寄りな音楽リスナーにCelebration, Celebratoryって言葉を与えたらそういうハッピーな馬鹿騒ぎみたいなイメージが最初にくるのよ。だからTaku さんがそういう解釈するのもしゃーなしだったかなと。


何よりそもそも、貴女自身が『Celebrate』っていうアゲアゲな曲を作ってるからさ。これって何かをお祝いするってより、イビザのイメージで朝まで騒ごうみたいな、そういう曲調と歌詞だよね? Takuさんもこの曲が念頭にあって『traveling』の“Celebratory"をそう解釈したと思うんだけども。そこの梯子を外しちゃうのは可哀想だったような。


で、私の話。前に『Electricity』のラストの歌詞『I just wanna celebrate with you』を「これ自動詞だから“ただただみんなでコンサートで盛り上がりたい”って意味だろう」みたいな事書いたんだけど、ヒカルは、有働さんとのインタビューでも言ってた通り「25周年を一緒にお祝いしようね」という意図で付け足してたのね。あーTakuさんと同じような解釈違いであったか、とそういうことだったのでした。


まぁでも、どっちでも大して変わんないといえば変わんないかも。ライブ会場で祝うんなら燥ぐもんね。時間の限り集まっては馬鹿騒ぎして25周年を祝いたい、ってところです。んでTakuさんのそのハッピーなトラベのボツテイク、いつかどこかで聴けないかしらねぇ?

噂の緑(色な綾鷹の広告 )を観に来ました


そういえば私も週末に品川渋谷新宿とプロモーション稼働をみてきましたよ。発売後1週間以上経ってるというのにまぁ広告の分厚いこと。品川で山手線に乗ろうとしたらでっかい綾鷹の宙吊り広告がどーん! 電車に乗ったら乗ったで車内画面では綾鷹トラベCMが矢継ぎ早。音が無くてもアガるもんだね。そして渋谷駅に降り立ったらハチ公口をぐるりと囲むようにまた綾鷹Hikkiがどーん!どーん!どーん! いや凄いね。タワレコ渋谷もまだ一階中央占拠してたしなぁ。新宿なんかデジタルサイネージで今度は『SCIENCE FICTION』の広告が打たれてる。タワレコ新宿のフロア以外でもSFが来るのでいやこれは街を歩いてたら宇多田ヒカルがベスト盤出したってイヤでもわからせられるわね。都会の広告事情、恐るべし。


だけど伊藤忠はみなかったなぁ。どっかにあったのかもしれないが、どちらにせよ綾鷹に圧倒される形ですわね。うむ、となると『Electricity』の露出が減るのでそこが残念!


日曜日のJ-Wave TOKIO HOT 100では5曲ほど同時ランクインしてたけど、いや凄い陣容だよね。オートマ、トラベ、マルセイユがそれぞれリミックス/リレコーディング/ニューエディット、だもんね。今回の物量には驚かされっぱなしですわ。あれだけお金のあった2000年前後でもここまでのプロモーションはなかったな。だからこそ、その『Electricity』への注目度が相対的に低いのが勿体無いのよね。


まぁ改めて言うまでもなく、ヒカルの場合アルバム曲をいつもone of themとして消費する事になっちゃってて、嗚呼シングル曲以外も素晴らしいのにって毎度忸怩たる思いに囚われるのが通例(『嫉妬されるべき人生』みたいな後追いタイアップとかもあるけどね)なんだけど、『Electricity』は「2024年の宇多田ヒカル」を最も表現してる楽曲なのだし、だからこそ、アルバムでは過去の曲を散々並べた最後に配されているんだから。幾つものワームホールを通ってのタイムトラベリングの旅から現代に帰ってきましたよの曲順になっとる(マルセイユはボーナストラック扱いとしてね)。まさにこのアルバムの主役。水戸黄門でいえば8時42分に出てくる印籠だ(あれがなければ御老公はただのじいさんだから印籠こそが主役よね)。それが折角タイアップをとったのに「オートマとかトラベとか懐かしいね」とか「First Loveをテレビで歌ってる〜!」とかの声に埋もれてるのは、これ誤算なのか何なのか。


でもま、今回のインタビューで最後の『I just wanna celebrate with you』の一節が、最後の最後に付け足された事が判明したので、やっぱりきっとここは「ツアーで会いましょう」のサインなのだと受け止めておきましょう。ベストアルバムを本編全編聴き切った人に対してのメッセージ・アピール。25周年をリスナーの皆と一緒に祝いたいと。アルバム制作がやっと終わろうとしていて、次のスケジュールが頭を掠めた。それがツアーリハーサルだったんでないかな? だから、最後にツアーを視野に入れた歌詞を入れてみたと。もしそうだとしたら、ますます『Electricity』は「2024年の今」たくさん触れ合うのがいい。てことで、テレビを見ない私が言うのは的外れ極まりないのだけど、伊藤忠さん、もっとプロモーション頑張ってね︎

ARくまちゃんで和むの巻


今週も毎日ほど予定が埋まってますねぇ。あれ、昨日の分の「?」はなんだったの? 毎度カレンダーを更新してアピールして欲しいところ。


この週末は、土曜日に「with MUSIC」の追加インタビュー、日曜日に「EIGHT-JAM」で本人インタビュー含む特集とまたも盛り沢山でして。後のぶり返しが今から怖いけどツアーが終わるまでまだ半年近くあるから今は考えない。


そんな中でヒカルが積極的にInstagramTwitterに投稿を続けてるのは、なんだか凄い。普段何週間かに一回の1行にむしゃぶりついてるのと落差が凄くて目眩がしそう。中でも、ARくまちゃんに対する積極性はもうネジが一本外れてるんでないかというほど。元々くまちゃんのことになるとリミッター解除しちゃうんだけど、今回は「タガが外れてる」と言いたくなるほど前のめりだわよね。


自分もちらっとだけ試してみたけど、なんて豊富なイラストの数々。どれも愛情深く描いてあって微笑ましい。もっと上手く描けるんだろうけど持ち味はそこじゃなしな。これだけの物量を新たに創作して投入するとは、半分は綾鷹の宣伝の為だけどもう半分は「趣味に走った」と言っちゃって、いい? ハッシュタグを押して各地に出没するくまちゃんの画像と動画を眺めてにんまりしてんだろうなヒカルさん。その様子を妄想するだけで幸せな気分になるわ。


その上まだこのあと「ご当地くまちゃん」が控えてるんですって? 仮にツアーを睨んでということになると、まず思い出すのが『Utada In The Flesh 2010』でのご当地サインボールだ。ホノルルの時点では無かったのだけれど、以降ご当地のくまちゃん…ニューヨークだと自由の女神、ロンドンだと衛兵さん、とかだっけ? よく覚えてないけど、それぞれの土地の名物に扮したくまちゃんをアーティストサインと共に記した野球のサインボールを会場で投げてた?配ってた?のよね。当時のメッセにたっぷり載ってますけれども。


あれを見て羨んでたけれど、今回はARとはいえ、あれに近い事を企んでくれてるんじゃないかと楽しみだわね。香港や台湾のご当地くまちゃんも登場するのかしら。ARアプリは基本、期間限定なので楽しむのなら今のうちだわ。期間限定でなくても、あれだけヒカルがノリノリなのだからリアルタイムで反応を返せた方がまぁ楽しいけどね。


どうにも作品の強度が普通のベストアルバムはおろか、オリジナル・アルバムにひけをとらないものになっている上、連日のテレビ出演で感動過多になってるところに、こうやってARくまちゃんという和みと安らぎと癒しを与えてくれるコンテンツを挟み込んでくれたのは、なんとも有り難い。こういうのもオアシスというのだろうか。違う気がするけど、皆さんもプロモ攻勢に疲れを感じたらARくまちゃんで和んでみてくれれば。でも色々とみてるうちに「思ったように出現してくれない!」ってなってムキになって余計に疲れる人も出るかもしれませんが…ってそれ昨日の私でしたね、ハイ(笑)。

観たいなぁ。


香港公演の日程が発表になった。先日発表された台湾公演が8月10日11日、そして香港公演が8月17日18日。これで空いていた8月の土日のうち残るのは8月24日25日だね。同日に設定されているサマソニバンコクが来るのだろうか? サマソニ東京大阪は17日18日で、こちらは香港で埋まってしまったからね。16日17日に北海道で開催されるライジングサンも無理になった。『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の全貌が、徐々に明らかになりつつある。


台湾公演の競争率も相当のものだったようで。これは初めての公演地なら仕方のない部分がある。ペイできる最低限の公演規模と日数からまずやってみるだろうし。次はもっと盛大にしてくるだろう。とはいえ、また6年も経てばわからなくなるか。



ヒカルさんはコンサートツアーへ向けての心境を、ラジオ(4/13全農Countdown Japan)で次のように語った。


『怖い。久しぶりだし、普段日常的に、ねぇ?やってることじゃないから。』


…だってさ。ヒカルさん、あのねそこで「ねぇ?」するのは無理がある。ミュージシャンてのはツアーが日常って人も結構いるし、なんだったらその番組に出てる人達はそっちが多数派かもしれない。一年のうち200日以上がライブ予定で埋まってる人も居る。もちろん、スタジオ作業がメインの人も沢山居て「人それぞれ」なのは間違いないんだけど、貴女だって望めば「ライブに費やす時間の方が多い」音楽家人生を送る事だって、可能なのよ? だからライブが非日常なのは貴女の選択であって、当然の前提じゃ、ないのよ?


ま、それはそれ。理屈の上の話でしかなく。現実のヒカルさんはご覧の通りライブを「非日常」のものとして捉えている。これは悪いことじゃない。確かに観たいと切望している人達が次々に鬼籍に入っていくようなペースを維持して25年だが、まずその分創造性が桁違いだ。今回の2枚組『SCIENCE FICTION』を聴いてると、「1人でザ・ビートルズ以上の質と量を誇る楽曲を書いてきたんだなぁ」と慄然としたわ。あり得ないことですよこんなん。これが可能になっているのも、この奇跡より遥かに稀な才能が、ライブを滅多にせず創作に打ち込んできたからに他ならない。その恩恵をSFを通じてたった今受けている身としては、ツアーが非日常になるのも必然と受け容れる気にもなる。


もうひとつ、ライブを演る方も非日常の感覚があることで、うちら観客の気持ちに近いというのがある。ともすれば、「観る方にとっては一生に一度の体験だけど、演る方にとっては何百何千と過ごしたいつもの夜でしかない。」という意識の齟齬がステージの上と下で生じるものだが、ヒカルさんの場合はそれがとても小さい。全く同じというわけではないだろうけど、「次またいつここで歌えるかなんてわからない」という特別に神妙な気持ちで歌う姿勢はそれはそれは特別な夜をもたらすだろうからね。ここは、“チケットが手に入った人であれば”とても嬉しい気持ちのシンクロとなるだろう。お互いにとって特別な夜。いいよねぇ。


そして、喉が元気というのもデカい。この間「with MUSIC」で椎名林檎と共演したが、林檎嬢の歌声が随分と使い込まれたものだったのに対してヒカルの歌声のフレッシュなことといったら。脳は回数を覚える。何度繰り返したかが大事なのだが、ヒカルはまだまだ回数を歌っていないのだなと痛感させられる対比だった。まだまだ喉が衰える事はないだろう(林檎嬢の喉が衰えてるわけではない/最適化が彼女の方が進んでるという話)。ヒカルさんは普段から体を鍛えてるみたいだしな。


なのでつくづく、今回の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』、「観たい」と言うしかない。ここの読者の中にはお家で聴くのが好きで公演にまでは興味がないという人も在るかもしれない。ヒカルさん自身がそうなのだからリスナーがそうなるのも自然な事だ。しかしまさかロンドンに住みながらライブハウスに通ってなかったとはな…! カマシ・ワシントン観に行ったのとか、レアだったんだねぇ。っとと、話が逸れた。ライブが日常の人も非日常の人もどちらも居るように、ライブを観たいかどうかもまた人それぞれだ。だから敢えて強調する。観たいなぁ。どれだけの感動を与えてくれるやら、ここまで来ちゃうと最早想像がつかないもの。とんでもないステージを魅せてくれる予感が、とてもとてもしているよ。

「NHK MUSIC SPECIAL」を観た感想




昨夜の「NHK MUSIC SPECIAL」45分、勿論CM無しでその上オープニングエンディングもなしな上途中VTRを挟む事もなくひたすら問答と歌を交互に繰り出すだけのシェイプアップされた構成だった。何を見せればいいのか、限られた時間で最大限の満足感をどう与えられるか、制作陣はよくよく知ってるわね。総合テレビでの放送だったけど、どちらかといえばETVっぽい演出手法だったかも。


と細かい差異を指摘するよりも何よりも、この全体を覆う「NHK伝統の演出」の数々にちょっと怖くなってたというのがメインの本音でね。物心ついた頃から、教育テレビをずっと眺めていた幼稚園児の頃にみたものから全く変わっていないカメラアングル、編集点の取り方、笑いや拍手の入れ方、人の配置、アナウンサーの役割、何もかもがNHK的で、ザッピングの中で通り過ぎるだけの一瞬でもそれとわかるの、なんだろうな、今は編集デジタルだろうに、アナログにテープ切り貼りしてた頃と変わらないの不気味で仕方ない。流石に40年前と同じプロデューサーが未だに現役ってこたないよな? それだと更に怖いけど。


だなんて引きの悪い話から始めているのは他でもない、そのNHKの演出手法の根幹である「真実すら虚構にして放送する」という“信念”があまりに宇多田ヒカルのもつ「いつでも本気」のポリシーと相反しているからだ。人が本音を話す時ですら台本や脚本に沿わせて、意のままに画面に映す。まるで人間一人々々が白黒のチェスボードの上の駒みたい。


そんな中でもその演出に飲み込まれない宇多田ヒカルは流石だった。これが言いたかった。


当たり前だが、半世紀どころでない歴史を誇るNHKの呪いに一般人などなす術もない。私もあの場にいれば駒にされていただろうな。だが、ヒカルの「自分のリズムでいこう。」は崩されなかった。どれだけ寄りの絵を取られようが、自在な編集点に切り取られようが、ヒカルの「今」は崩さない、崩れない。そのリアリティはあたかも小津作品でひとりだけ生身の人間として異彩を放つ杉村春子のようだったわ。完璧な操り人形と化す笠智衆もまた素晴らしいのだけれども。


嗚呼、ついでだから補完しとくと。ヒカルが「幸せとは?」という質問に対して答えた「今」というのは、別に「41歳の自分」とか「こどもと過ごしている2024年現在の生活」とか「NHKの番組収録に参加してるこの状況」とかの意味ではなく、「今を感じているこの瞬間」のことを指していた、筈だ。未来への希望や展望や絶望だけでも、過去への憧憬や懐古や後悔だけでもない、それら総てを包含するたった今という瞬間を味わえてる事自体を感謝する、という感覚のことを指しているのだと思った。かなり抽象的な回答であった。


そうなのだ、ヒカルは、「これから撮れ高を切り貼りされて言ってないことを言ってるかのように編集される」テレビ番組の収録という人工的な時間の流れの中にあってすら「今」を見失わなかったのだ。『True Secret Story 』とか『今の私』とか『SONGS』とか『仕事の流儀』とかで大変お世話になっている局なのだが、一方で看板の紅白歌合戦には一度しか出演していなかったりで、正直距離感の取り方が難しい場所だと先だっては思っていたのだが、全く全然大丈夫だったね。ヒカルはヒカル。どこにいたって私は私なんだから─と、本日発売24周年を迎えた、発売と同時にミリオンセラーという記録を作りながら『SCIENCE FICTION』に収録されなかった名曲『Wait & See 〜リスク〜』の一節を引用して、視聴後の感想の総括に変えましょうかね。歌も問答も、素晴らしかったですよ。