無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

寧ろ追伸が本文

週刊文春の記事、小さいながらもなかなかよかった。「キヨシ、このやろ!」という気分である。

さてくだらないダジャレのお陰か何の関係もないことか、8月にもなれば冬にCan't Wait 'Til Christmasが流れ始めるのが待ち遠しくなってくる(ホンマかいな)。例の「Can't Wait 'Til "Can't Wait 'Til Christmas"」ってヤツである。気が早いといえば気が早いのだが、もうすぐ人間活動宣言から一年なのだ。(普通Blogをやってるとこういう事を書く、或いは匂わせるのは当日の日付になるまで控えておくものだが、気にしない)。

過去最高に暑い夏のさなか、立秋を経て【久しぶりの大事なお知らせ】メッセがUPされた。ここからの約4ヶ月超の期間は、正真正銘のギフト、プレゼントだった。置き土産、いや置き手紙か、そういってしまうのは未だに抵抗があるが、今年のこれからの季節はいつにもまして「去年の今頃はこんなことがあったなぁ」と振り返ってしまいそうな匂いがプンプンしている。この際、ぽんぽんしていてもいいだろう(意味が不明)。何となくやるせないというか、行き場のない大きなさみしさと小さな怒りのブレンドミックスみたいな感情が、今年の8月9日以降は支配的になるだろう。

@utadahikaruに対して、去年の今日はこんなことしてましたよ、とかこんなツイートがありましたね、なんてメンションを飛ばしてみようか。いや、私は案外そういうのは苦手だから皆さんに任せるけれども。

人間活動中、そんな回顧モードに入ってしまう「宇多田ヒカルとそのファンの関係性」。他のアーティストたちは、なんだかんだでなにがしか前に進もうと頑張っている。今、僕らの時計は止まっていて、ヒカルが戻ってきた時に改めてネジを巻き直して動かし始めるのだろうか、それとも、それぞれの時計は別個に動いていて、再会した時に参照しあって時間を合わせるのだろうか、だとしたら大変だ、向こうは光なのだから、全然時計が進んでないよ、とかいう相対論ジョークは置いておくとしても。

だからツイートとメッセはとても大事。大した事は書いてなくていい。お互いの時計がちゃんと進んでいる事さえ確認できればいい。Can't Wait 'Til Christmas、いい曲だなぁ(今聴きながら書いている)。長い冬に何を思う。確かに、状況としてはクマの冬ごもりに近いかもしれない。この際、そんなに力まずに、時計の針さえ進んでいればOKくらいに捉えておこうか。いつかは帰ってきてくれるのだ。本人はあまり興味はないかもしれないが、その希望の存在は生きる理由として十分である。


気になるのは、28歳からこちら、光の"歌声"を、ちゃんとした設備の下で録音する機会があるかどうかだ。声は年々変化する。いつになるかはわからないが、帰ってきた時の光の声の変化に、僕らはとても吃驚するかもしれない。せめて、後からでいいから光の声が年々どう変化していったのかの記録にうちらが触れれる機会があればいいのだけどね―。