無意識日記々

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唄の背に鳴る鈴の音のささやかさ

日本人のクリスマス好きっぷりは凄い。キリスト教徒なんてそんなに居ないだろうに本当に皆さんよく乗っかってくれている。無神教だから何のお祭りにも乗っかれるというのは強味だ。ジングルベルとクリスマスツリーを片付けたらすぐさま注連縄と門松を表に出せる。あたしはこの節操のなさが大好きでねぇ。カレーライスもアンパンもこういう文化だから生まれたのだ。日本語ポップスもまた然りだね。今夜はそれは主題じゃないですが。

無神教でクリスマス気分を味わう時に大事なのは視覚的&聴覚的な演出だ。イルミネーションと、何より緑と赤の色の組み合わせがクリスマス気分を盛り上げる。今年は黒と緑のブロックチェックが竈門炭治郎のものになってしまった一年だったが、緑と赤の組み合わせはまだまだクリスマスの独擅場だ。違う季節でもこの組み合わせを見かけるとついつい「クリスマスっぽい」と思ってしまうくらいに。

音楽も同じく「クリスマスっぽさ」として刻み込まれてしまっているサウンドがある。そう、ジングルベル。「鈴の音」である。どんなポップソングも鈴の音を鳴らしてしまうと途端にクリスマス・ソングっぽくなる。つまり、クリスマス・ソングにしたければサウンドにジングルベルを加えなさいってこった。

『Can't Wait 'Til Christmas』は、宇多田ヒカルクリスマス・ソングを作った事自体が衝撃だった。そもそも、シーズンに合わせて曲をリリースするという事も殆どなかったのだ。三宅プロデューサーは「『Automatic』は冬だ。」という名言とともに同曲を冬季に大ヒットさせたのだが、別に『Automatic』自体は冬の歌じゃない。槇原敬之みたいに「冬がはじまるよ」と直接的に歌った訳ではなかったのよ。

更にヒカルといえばクリスマスに思い入れが薄いことで知られていた。幼い頃年中家にクリスマス・ツリーが飾ってあって逆説的にクリスマスが特別な日ではなくなってしまっていたという。なんちゅう家庭に育っているんや。宇多田照實さんと藤圭子さんのお家だそうで。あら納得。(今更)

そんなヒカルがクリスマス・ソングを! しかも曲調が「如何にもJpopにありそうなクリスマス向けのピアノバラード」だったのだから更に驚き。まるで、あの、昔友達とカラオケに行って歌ったら下手呼ばわりされた即ちヒカルが歌うのが苦手だと思われていたDREAMS COME TRUEを彷彿とさせるような温和な歌詞とメロディー。まぁどちらかというとドリカム風と言うより吉田美和風と言う方が正確なのかもしれないが、まぁそれはさておき、そんな“他流試合”な作風のクリスマスシーズンのCMソングをヒカルが作った。ある意味とんでもなく“譲歩”した作曲だったと言える。

その“譲歩ぶり”を裏付けるのが、『Can't Wait 'Til Christmas』の後半に出てくるジングルベル、鈴の音の伴奏だ。これでこの歌がクリスマス・ソングとして決定的になったと言っていいだろう。完全なる季節曲。本来の宇多田ヒカルの芸風から離れて、こうやってファンを喜ばせる歌も作って唄うことが出来るのだ、ヒカルって人は。

ただ、その鈴の音の音量が控えめなところが、なんというか照れというか奥床しさというか、そんなところを感じさせる。クリスマスっぽさを前面に押し出しきらないというか。歌い出しが『クリスマスまで待たせないで』っていう歌の割に、そこらへんがなんかいいなぁ、と。あとシンバルとウィンドチャイムも鳴ってるがこれは冬の演出だろうかな。最後の最後でヒカルの性格が出てしまったみたいで、そこがそこはかとなく嬉しかった。

なお、『WILD LIFE』でのライヴ・ヴァージョンでは鈴の音は入っていない(と思う)。このヴァージョンでの歌唱はスタジオ・ヴァージョンでのパフォーマンスを上回る悶絶&絶品な逸品なので、今日明日『Can't Wait 'Til Christmas』を聴こうと思っている人は是非『WILD LIFE』の方も忘れずにチェックしてうただきたい。私は実際に当日このパフォーマンスを目の当たりにしたが、映像商品に収録されているのは一切修正の施されていない正真正銘のナマ歌であると断言できる。一発でここまで歌えるって、やっぱ2010年以降のヒカルのライヴ・パフォーマンスのクォリティは、全く以て尋常じゃないですよ、えぇ。