無意識日記々

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俗世での属性と此処に居る個々

光が人間活動している間にも全世界でチャートは動いている訳で、光より明らかに"格下"(多分、本人たちも認めるだろう)なミュージシャンたちがチャートインして知名度を上げているのをみると、悔しい思いと共に「こんなんでいいのかなぁ」という感情も込み上げてくる。

日本のオリコンアメリカのビルボードに何らかの正当性、正統性を付与したいとは思わない。何度も指摘してきた通り、これらのチャートは指標としても機能しなくなっている。しかし、その権威性に基づいた宣伝力は侮れないものがある。Adeleのブレイクの仕方などは、チャートに載ることの正のフィードバックが大きく影響しているようにみえる。

一方で、これも何度も繰り返してきた通り、光が全世界的に有名になる事を本当に望んでいるのかという疑問が残る。もし、既にそうなる覚悟は決めていて、これが人生で最後の"Vacation"のチャンスなのかもしれない。光が、主に日本でだけ活動する姿がどうしても想像つかないのだ。コスモボリタン、というと懐古的かもしれないが、光が国境という人工的な概念に縛られて生きるのは何となく居心地がよくない。

しかし、もし世界的に有名になったら、光は寧ろ"日本人としてのアイデンティティ"を問われ続ける事になるかもしれない。世界中の人がまず光の特性、属性として"日本人である事"を見いだすだろうからだ。各地のインタビュアに「日本はどんな国ですか」「日本の文化はどのようなものですか」と訊かれ続けるのだ。

文化を相対的に眺める視点と母国に対する知識と理解。"日本人代表"として、あらゆる言動がみられる事になる。今だったら、真っ先に地震津波原発を気にかける言葉を受け取るだろう。そういう時の対応を誤れば、"日本人"のイメージダウンに繋がりかねない。知名度が上がれば上がるほど、その責任は重くなる。

だが、光は音楽的には"日本代表"という感じではない。実績的にはB'zやミスチルが海外に出ていった方が相応しい気がする。できれば、どんな国や地域であれ、まず"Utada Hikaru"として受け入れてもらいたい。贅沢な願いだが、それが双方にとっていちばん幸せなことなのではないかな。