無意識日記々

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noblesse oblige for the gift

"宇多田ヒカル"という看板があるから私はやたらと市場だPopularityだと言っているが、個人としてはそんなに興味がない。ヒカルの歌声がこちらの耳に届いて心が揺さぶられればOKな訳で、インターネットのある今の時代に音楽を届けるのに"市場"なんて必要ない。音源のアップロードとダウンロードがそれぞれに出来ればいいのだから。勿論そのアップとダウンの間を取り持つのが恐ろしく難しいからこそ、レコード会社とA&Rの仕事はいつまでもなくならないのだが、我々の場合もう宇多田ヒカルを知ってしまっているのだからそれも必要ない、とキッパリ言い放つ事も出来るのだ。あとは個人的な関係性のみになる。

そこはそういう感じで基本的にドライなのだが、もし何かひとつ引っ掛かる事があるとすれば、私個人の話だが、70年代UKプログレッシヴ・ロックの辿った歴史的な経緯があるかもしれない。後追いで知った"知識"でしかない故に本当のところ当時どうだったのかはわからないのだが、彼らは80年代に"セルアウト"してあからさまな売れ線狙いに路線変更後大ヒットを記録した。YESは"Owner Of A Lonely Heart"で、Genesisは"Invisible Touch"でそれぞれ週間全米1位を記録、King CrimsonEL&Pの合体であるAsiaに至っては1982年の全ジャンル総合全米チャートで第1位である。これを大成功と言わずして何という活躍ぶりだった、らしい。

しかし、後追いのこちらからすれば音楽性としては70年代に彼らが展開したロマンティックな大作主義にこそ惹かれる訳で、そのギャップに対してどう意見を表明すればいいか未だに戸惑う。彼らからすれば、「俺たちだってやればできるんだぜ」という事を証明したかったのかもしれないが、ここ日本ですら、YESのLIVEでいちばん歓声が大きくなるのはロンリー・ハートだ。もしこの全米1位曲がなかったら来日公演もままならなかったかもしれない、なんて風にも考えてしまう。

一方、一度も世界的大ヒットをとばさなかった北欧や南欧プログレバンドたちは今でも元気に新譜を発売し来日公演を行っている。ファンからすればそれで十分な訳で、別に大ヒットを飛ばす必要なんてなかったのかなと思う一方、現実はそういった彼らのような無名のバンドたちに光をあてる事が出来ているのも英国勢が80年代にセルアウトしてこのジャンルと人脈の知名度を上げておいてくれたからだ、なんて解釈も出来、評価を躊躇うのである。

つまり、ヒカルが売れてようが売れてまいが知った事ではないけれど、これだけの才能は"売れ続ける義務"があるのではないかと心の片隅で思っているのだな。だからこうやって市場の話ばかりをしている。そこらへんは、自分でもよくわからない。