無意識日記々

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大切な時を大切にする

『今日はおいしい物を食べようよ 未来はずっと先だよ』『いつか結ばれるより 今夜一時間会いたい』"Show Me Love(Not A Dream)"『クリスマスまで待たせないで 人はなぜ明日を追いかける?』―光のこういった"主張"は、昔から首尾一貫している。今を大切にしよう、それだけである。

ならば、と疑問に思う事がある。何故こんなにもライブが少ないのか。音楽の強味は、有史以前から生演奏にあった筈だ。そもそも録音機器自体、まだ150年の歴史しかないのだけれど。

光がオーバーワークなのは周知の事実。縦横無尽の活躍の中でパフォーマーとしてのペルソナが追いついていないと嘆く事もあった位だ。漸くこの二年で(とはいえ実際にはUU06を通して)その問題も解消されたかな、というタイミングでの人間活動なので頻度を問題にするのはフェアではないかもしれないが、そもそも光自身が創作活動に最初から重きを置いている感は明白である。その事と"今を大切にする"詞の世界観は、両立し得るだろうか。

そもそも、光の音楽はライブで演奏される事を第一義に考えられてはいない。あれだけの再現力をもっている事自体が驚きである。即ち、単純にライブ・コンサートというのは光にとってプライオリティではないという事だ。舞台の上は彼女にとって"今"ではない、いや少なくとも常時大切にする"今"ではなく、時間の一部に過ぎないという事か。

演奏会のライブ感というのは、スポーツや舞台演劇と並んで臨場感という点では最も優れたものだ。漫画やアニメといった文化が如何に秀でようとも、その点では優位に立てる。その為、ネット上、特に日本ではニコニコ動画の生放送や2ちゃんねるの実況板がかなりの人気を持っている。他者と"今"を共有する事への渇望をうまく掬い取ったといえる。

光の人生の中でいちばんその"LIVE感"が強いのは、つまり、作詞作曲をしている時間なのかもしれない。人前で歌っている事よりも。今日書ける事と明日書ける事、いや、たった今書ける事と5分後に書ける事すら異なっている。その為、この"今"を逃すと次に捉えるまで何年もかかるような"今"と常に向き合っている為、光は孤独と常に相対している事が"今"であるかもしれないのだ。創作活動は、僕らが考えている以上に"LIVE"なのである。