無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

かくしごとふたたび

Distance制作後、3週間ダメ人間になっていた時期を思い出す。ギリギリまでEternallyの作詞と歌入れに挑みデッドライン上で完成させたアルバムの評判がよすぎてハナミズ垂らしてたのもまぁこの時だ。全力尽くしてダメになったのは人間の方でしかも期間限定、作品の素晴らしさはいうまでもないだろう。

光は、全力で作品を作った後、そうなるのだ。アルバム単位ならまぁ3週間なのだろう(既に半分の曲は出来上がっていたから7曲位か?)が、これが12年単位での蓄積疲労の分となれば1ヶ月や2ヶ月で済もう筈もない。

ズバリ、この人間活動中に光はどこかで「ダメ人間活動」を入れてくる筈である…という論を展開しようとして今夜このエントリーを書き始めたのだが、どうもしっくり来ない。何かが違うと感じる。疲れが溜まっているんだからダラダラすればいいじゃないかと思うんだけど、あれ、光はそうしてないのかな??

教室にも職場にも通わず、まぁ例えばネットサーフィンにしてる間に朝を迎えたり、食事読書食事読書食事読書睡眠々々みたいな生活を送ってみたり、してないのかな。

【久しぶりの大事なお知らせ】を読み返してみる。よく書けた、いい文章だ―とまず書くと光喜ぶだろうな、と余計な事を考える。考えても書かなきゃいいのに。で。『これは「引退宣言」ではありません! でも、「休養」でも「充電期間」でも無いんです』―何度も読んだ。知ってる知ってる。

でも、『むしろ熱心に、そして謙虚に、新しいことを勉強したり、この広い世界の知らないものごとを見て知って感じて、一個人としての本当の自分と向き合う期間になると思います』って、勉強したり見聞を広めたりって、ふつう充電期間って言わねーか? 違う?
 今更だけれども。

何でそれをわざわざ"人間活動"と呼ぶのか? 逆から考えてみる。光にとって"アーティスト活動"って、人間のやる事じゃないの? 「マネージャーなしじゃ何もできないおばさんになりたくない」ってのは、よくわかる。それはそう。この間トットちゃんも言ってたよ。15年間テレビ出ずっぱりで、このままじゃいけないと思って仕事全部休んでNYにとんで、そこで初めて一人暮らしをしてみたと。そうすると、朝林檎の皮を剥きっぱなしで出掛けて夜家に帰ると林檎の皮が朝と変わらずそのまんま転がってると。「あ、ひとりで暮らすってそういうことなんだ」とその時気がついたんだと。

光もそういう"気づき"を求めて人間活動に―いや、違う! なんか違う。私の感性にピンとこない。それもあるだろうがそれだけじゃない、何か光は隠している事がある、或いは、既に口にしているが私が見落としている事がある。何だろう。

隠し事があるのは悪い事じゃない。寧ろ、隠し事がなければ詞や曲を書く仕事なんて成り立たない。光が何かは、どんな仕事をしようが何かを書いて残し続ける道を選ぶ筈だ。今夜一時間だけ会いたいと願う人間がライブをトッププライオリティにおかないのだから、彼女の筆先と指先、口先から生まれる時間の軌跡は、どこまでいっても途切れないと思う。その為には、沢山今のうちに隠し事を蓄えて…ってやっぱり充電期間じゃねーか。

まだ私は光の真意を把握できていないらしい。明日だ明日! 次だ次! ふらりとツイートでもしてくんないかなぁ。