無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

素直に生きたい

照實さんが雷好きをツイートしている。気持ちはよくわかる。不謹慎ではないかと心配しているが、地震だろうが津波だろうが戦闘機だろうが拳銃だろうが、人を殺められる位のパワーを持つモノは某かの魅力があるものだ。その点を誤解していると、いつまで経っても争い事はなくならない。ミリヲタが戦争を奨励しているとかとんでもない勘違いで、みんな基本的に平和主義者である。幼児を強姦する漫画を愛読する者の殆どは実際に強姦しようとは全く思っていないし、殺人事件だらけの推理小説を読む人は人が殺されるのを楽しみに待っている訳ではない。寧ろ、実際の争いはそういう違いを理解できない事から始まる。

知る事は大切である。文句を言う人の殆どは実際にその相手に会った事がない。会ったら大体「なんだ、いいヤツじゃん」になるのが常だ。無知は恐怖にバイアスをかける。知らなければ無闇に恐れるだけなのである。いい人な期待なんてしない。


どんな話にも転がる枕を書いてしまった。こういう時が書き手としていちばん困る。毎日何を書こうか迷う事はあっても悩む事は少ない。恵まれている事だなぁ。

私がこうやって月あたり40回Blogを更新出来るのは、私に文才があるからではない。ただひたすら、宇多田光に魅力があるからである。その魅力を話し始めて尽きる事なんてない。裏を返せば、他のテーマを設定したらこんな量はとても書けない。10倍の時間を貰っても無理である。

そう書いてる今でも、「ヒカルの5のサングラスを今振り返るのも面白いな」とか「そういや人称の変化(ぼく、私、君、あなた、、、)を軸にヒカルの歌詞を読み直すシリーズ、まだまだ続くんだっけ」とか「Exodus、歌詞特集はやったけどサウンド特集やるかもしれないっつっててそのまんまだな」とか「キプトラのラストが何故『お兄ちゃん、車掌さん、お嫁さん』という順序なのか、お姉ちゃんやお婆さんではいけないの?」とかいろいろ書いてないテーマが浮かんでる。まぁキプトラのヤツはどれだけ簡潔に書いても何千字になるので通常更新で書ききるのは無理なんだけど。その昔書き始めて3300字行った所でまだまだ先が長すぎて挫折したのだ。また取り組む気合いを充填するのはなかなかに難しい。

そんな感じなので、普段は決められた時間内或いは字数に収めれる内容を選んで書いている。時々その1やらその2やらと続いていくケースもあるが、あれは計画的に連載をしようと思って始めるのではなく、全く逆で、書き始めてはみたもののこりゃ一回じゃ収まらないなと後から気づいて苦し紛れに最後に"続く"と付け加えているだけの、フニャコフニャオ先生並の無計画さなのである。

光をネタに書いている私がこんななのだから、その宇多田光と24時間365日ずっと一緒に居る光本人の出し得るアウトプットというのは想像を絶する量に達する筈である。しかし彼女はその中から、異常にハイクオリティなレベルに達する素材だけを厳選して世に送り出しているのである。

もしかしたら、人間活動を始めたのはアーティストとしての創造力、生産性が衰えたからかな、と思う人も居るかもしれないが、とんでもない、実状は恐らく、アイデアが枯渇したのではなく、ピックアップする基準、クリテリアが自然に上がっていくのを抑えられなくなってきたからなのだと思う。これ以上創作に没頭するとより高みを目指して、きっと自分は精神的肉体的に破綻してしまう、そう光は感じている可能性が強い。彼女の持つ生産性、創造力はその宿主を遠慮なく破壊してしまう程強力なのだ。光の最大の悩みはそこであろう。だからいったん山を降りてみる事にした。生きる為に。それだけだ。