無意識日記々

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泡粒、泡宇宙

あぁ、アキレスと亀ってブラックホールの事じゃないか、と気付いた。古代ギリシャで生まれたイメージは、20世紀にも引き継がれてるのね〜。いや今は21世紀だけど。

20世紀の爆発的な発展は、世界史上でも驚異的だろう。人の増え方が違った。21世紀も、まずはインターネットの登場によって随分と様変わりしたが、20世紀の場合は電話に引き続いて映画、TV、自動車などなど、画期的な発明が相次いだ。21世紀がそこまでラディカルになるか、まだまだわからない。

音楽の面では、20世紀はどうだっただろうか。詳しい事は知らないが、人口爆発に伴って大きく大衆に商業的に拓かれた時代だったというべきか。庶民の音楽は19世紀以前もあっただろうが、ここまで派手ではなかっただろう。ひょっとすると、音楽で億万長者になる、というケース自体、20世紀より前には稀だったのかもしれない。

そういう"特殊な"世紀を経て、21世紀はまた音楽が商売にならない時代になる事も考えられる。ネットのお陰で曲を配るのはどれだけでも出来るとなれば、結局誰も商売にしようとしなくなってゆく。娯楽も多様になり、音楽を聴く必要、世間的圧力みたいなもんがなくなれば、商業音楽自体なくなっていくのも有り得ない話ではない。

というのも、これまで、多くの人がさほど中身を吟味せずにCDを買ってきていたという事実があるからだ。倉木麻衣が300万枚売れたのは、様々な方法を駆使したからであり、決して皆が他の種々の音楽と比較して「これはお金を出すに値する」と選んで買った訳ではない。

宇多田ヒカルはもっとそうである。確かに、First Loveは国民的名曲だが、だからといって700万人の人が心底気に入って吟味して選択の上で購入してきた訳ではないのだ。

途中から現象が"バブル"になって、加速度的に売れ始める、これによって生じる購買力が全体の何割位か、見極めるのはむつかしい。バブルとは、情報が実体と乖離して一人歩きする話の事だから、インターネットが発達した21世紀はバブルのありようも定量的に異なる筈である。スパンの短さ、瞬時に巻き込む人数の多さ。情報の混乱と変容と誤解。新しい時代のバブルは、何となく購買に結び付いてしまう前に収束するようなイメージがある。

確かに、FoLの大ヒットは見事だった。ドラマの人気にも助けられ、"バブル"によって年間世界2位のダウンロード数を記録した。バブルを生み出し得るだけの曲のよさと長年培ってきた「宇多田ヒカルへの期待感」ていう他にはない強みがあった事は間違いない。が、何かがブレイクするというのは事前には予測できないものだ。そして、当たるとそれはそれは物凄い。

でも、バブルの当事者ってどんな気分なのだろう。何となく買ってみて、聴いてみて、あぁ、悪くない、そう思う感じ。宇多田ヒカル以外のコンテンツに対する、普通の僕らの態度だ。ひとつひとつの購買行動をみれば、至って普通。「なんか最近話題になってるから、ちょっくら買ってきてみるか」に、深い考察や強い信念なんてない。そのさりげなさを生む為に、アーティストは頑張る。レコード会社もマネージメントも頑張る。そして21世紀。その購買行動の姿はさほど変わらないだろう。変わるのは、その総数。その分布。あクマで全体での何かである。個々のなんてない日常が、どのように組み合わさるか、その違い。確かに、掴みようがないし、それを起こせた倉木麻衣宇多田ヒカルは、関係者含め本当に凄いなぁと思うのだった。