無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

小さな地球の陽のあたり方

『夏も終わりの気配漂う8月末〜♪』という訳で今夜こそ目次上げるの忘れないようにしないとなっ。となとなっ。

そういえば、考えた事なかったが南半球の人たちは北半球で歌われる時期と季節の結びついた歌の歌詞をどういう風に聴いているのだろう。Summertime Bluesは12月とかに聴くのだろうか。8月末が夏の終わりといわれても実際は違う訳で。プレイ・ボールは日本語の歌だから北半球の国の事だと割り切れるかもしれないが、英語だとオセアニアとかあるだろう。どんな感じで受け止めているのか。

英語で唄う、とはそういう事でもある。日本語で歌ってる時はエキゾチックだから、異文化だからと見過ごされていた事も、英語となると世界中に母語公用語として、第1第2外国語として使用している人が居る。そして、それぞれの文化に配慮せねばならない。

ラブソングも、地域や時代性に依存する。一夫一婦制の許での歌だとわかっていないと、不倫だの浮気だの火遊びだのといった内容のどこにスリルがあるかわからない。性文化の変化変遷を辿っていないと、どこが過激で問題になったのか、何故こんな暗喩が面白がれるかわからない、といった事態が出てくる。イスラム圏やヒンズー圏での恋愛観、結婚観はどんなものか、よくよく知っていないと現地で何を歌っても大丈夫なのか、何からがNGなのかわからない。

UtaDAでは規模が小さいながら似たような事は既に経験している。The WorkoutやEasy Breezyの訳詞を取り上げて"過激になった"とか"ビッチ化してる"とか書かれるケースもあったが、いやまぁ後者は2ちゃんねるなので真に受けなくてもよいものの、英語で聴けばそういう印象は薄い。日本語でやる場合は手法から異なっていて、例えばtravelingや幸せになろうのような体裁をとるだろう。歓楽や愉悦の情緒表現は、言語の選択自体に根本的な所から変化を強いられる。

今後、Utada Hikaruとして活動していくに際して、どの国で、どの文化圏でリリースされ得るかは出来るだけ予め把握しておいた方がいい。世界情勢もDog Yearに突入しようとしている。いつどこで歓迎されるかわかったものではない。そんな時に歌詞で要らぬ誤解を受けぬよう、普段から国際感覚、いや地球感覚を磨いておく事が肝要かもしれない。

いや勿論ミュージシャンにスキャンダルはつきものなので、物議を醸す事が存在意義だったりもするし、異文化コミュニケーションとは元来そういうものであって、寧ろ日本人の考え方感じ方を世界中にこちらから積極的に伝えていけばいい、という考え方もあるかもしれない。

でもたぶん、光は出来るだけ穏便に進めたがるんじゃないかなぁ。波風立てずに忍び寄るように相手の懐に…ってもしかしたらその考え方が、世界からみたらいちばん"日本人っぽい"かもしれないけどね。