無意識日記々

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目を白黒

さて、そろそろ急展開が期待される第9回が放送となる(となった)MBS輪るピングドラム』だが、このアニメでは頻繁に地下鉄の場面が登場する。

作品の性質上、及び単なるダジャレとして、このアニメではモブ(群衆)がピクトグラムで描かれている。"非常口から走って出ていく人"のアレだ。

地下鉄の場面でもそれは同様で、主要キャラ以外はピクトグラム。面白いセンスだな、と思ったが我々は似たような手法を既に知っている。Heart StationのPVである。

ピングドラムでのピクトグラムが白色であるのに対し、HステPVの方はまるで影絵のように真っ黒だ。その演出の違いはどういう効果を齎すのかと考えると、画面の中の登場人物がこっちを向いているかどうかではないか。

アニメの場合、登場人物たちは視聴者のことを知らない。余りにもこの前提は当たり前過ぎて普段意識する事はないが、何かの拍子に(その閉じた世界観を喰い破って)彼らが我々に向かって話し掛けてくると思わず「こっち見んなwww」と呟いてしまう。2ch恒例のやりとりである。

その場合、主要キャラもモブも、作品の中では並列であり、その存在に違いはない。となればキャラの色合い、明度や彩度等の点で殊更違いを強調する事もない。だから白色でもOKなのだ。勿論、ピクトグラムが元々白色だからというのが大きいんだけど。

しかし、HステPVの場合、視聴者に気がついているのは宇多田ヒカル自身である。そうなると、ヒカルとモブは並列な存在では居られず、隣り合いながらもお互いに切り離された世界にそれぞれ生きていなければならない。その為、色合いを反転させてヒカルが白、モブが黒である必要があった。

演出は徹底している。ヘッドフォンですら白である。(この時点ではまだ落書きはされていない)。そして、何故ヘッドフォンなのか。モブたちの世界とヒカルの世界を切り離す為である。ヘッドフォンやイヤフォンをつけた状態で群衆の中に感じるあの孤独感を、ヒカルは視覚的にも表現しているのだ。昔歌っていたな、『ヘッドフォンをしてひとごみの中に隠れるともう自分は消えてしまったんじゃないかと思うの…』


わかりやすくいえば、我々が幽霊みたいなもので、あちらの世界ではその幽霊にヒカルだけが気付いている、或いは我々もあちら側に居るのだが、我々(というか私)だけがヒカルの存在に気がついていて、まぁつまりヒカルの方が幽霊という設定だ。まぁこの際どっちでもいい。

肝心なのは、視聴者とヒカルがモブの中でお互いの事だけを見つめ合っているという感覚である。オープニングで宇宙から眼球に導かれるが、あれは世界の総てをヒカルと見つめ合う事に費やせというサインなのである。

そこまでいかなくても、このPVは宇多田ヒカルと見つめ合う設定ですよ、目を見てくださいね、という合図としての演出ではあるだろう。

言われんでも見るっちゅーねんなー。