無意識日記々

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斜行事例

Wild Life=野生生活の事を『自分のケツは自分で拭く』と相変わらずおっさんみたいなタトエで形容したヒカルだが、ここでいう"自立心"というのは"社会的立場に見合った"という注釈付きである事を忘れてはいけない。

今迄"護られてきた"というのも、常識から考えたら当たり前の事でマネージメントやレコード会社は別に優しさや思いやりがなくても飯の喰い種としてミュージシャンはある程度保護するだろう。勿論実際のU3やEMIはそういう考え方ではないだろうが、たとえそうだとしても護られて然るべきだった。

ヒカルのいう"自立"は、宇多田ヒカルという看板に見合った役割を果たすという事だろう。この巨大な"産業"の座長、リーダー、社長―まぁ呼び方は何でもいいが、プロジェクト全体をまとめれて初めて一人前、という感覚があるのではないか。プロジェクトの中で最も代替が不可能な存在は自分自身であり自分が動かなければ全体が停留する立場…なんつーか20代で背負うポジションでもない気がする。会社の女社長が50代60代のスタッフに指示を出す、とか或いは学校の学長、校長が27,8歳女子だったら、と考えれば少しは想像がつくんではないか。

確かに、そういう観点からすればいったんアーティスト活動を止めて修行期間に入るのもわかる気がする。護られる立場から護る立場へ―ドラスティックな変化だが、既に12年前からずっと2つの会社の稼ぎ頭なのだから、そのアンバランスを是正するだけ、ともいえるかもしれない。

ただそうなれば、必然的に"社交性"が必要になってくる。自立する事と社会的役割を演じる事は並行して成長するものではないか。とすると、アーティスト活動の休止そのものは逆効果ともいえる。この間に様々な人脈を構築しているのならそれはそれで面白いが、RPGに対して"人と話したくないからゲームやってんのにどうして会話しなきゃなんないの"とヒッキー&ヲタクの溜飲を下げた名言を残した人物が果たしてそういう行動に出るかどうか…。

本人さえその気になれば、宇多田ヒカルとお近づきになりたい人はわんさか居るんだから住所録は一瞬で膨れ上がるだろう。でも、常に向こうからやってくる立場なら敢えて積極的にならなくてもいいかもしれない。いったいどこまでモデルチェンジしてくるのか、クラスチェンジしてくるのか。中途半端にリア充になるのが、いちばんファンを失いそうな気はする。

まぁ、28歳まできたら基本的な生き方はそうそう変わるもんでもないですが、本人もファンも変化を無闇に恐れない事が肝要だろうな。変わる時は変わるんだから気にしていても仕方がないよ。