無意識日記々

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声のアプローチ

ヒカルの発声の変化は、音楽性の変化でもある。90年代は柔らかく細い声で、マイクロフォンを最大限活用した歌い方をしていたが、今はチェロやピアノ一本をバックに歌い上げてもサマになる声量豊かなスタイルもこなせるようになっている。R&Bベースから、幅広いジャンル(に似ている曲調)の楽曲に対応できるようになっているのだ。

この変化によって離れていったファンも居る事だろう。初期のイメージから、日本発の本格的R&Bシンガーが世界に羽ばたくのを夢見ていた人もきっと多いに違いない。

分水嶺となったのはFINAL DISTANCEか。ビートを抜き、ストリングスをバックに切々と歌い上げるには細く柔らかい声では間に合わなかった。

元々、ストリングスやピアノといった西洋のクラシックの楽器は、マイクロフォンのない時代に作られたものだ。まぁそりゃ殆どの楽器がそうなんだけど、兎も角、それだけに基本的にデカい音が鳴るようになっている。それに対応する歌唱も、当然マイクロフォンなしで何千人規模に届くように歌うからには声量を優先する方法論に変わっていく。オペラティックな歌唱とは、即ち声がデカいという事である。

Wild Lifeでのヒカルは、その12年の振り幅も見事に歌い分けてみせた。デビュー曲であるtime will tellも、当時最新曲だった愛のアンセムのピアノバージョンも、どちらも単体で「歌上手ぇな〜」と唸らされるものだった。確かに初期と比較すれば声は太くなっているが、技巧自体が衰えている訳ではない。

ただ、中にはアプローチ自体に疑問があるケースもある。例えばPassionだ。after the battleの方は見事なものだと思うけれども、Single Versionの方もほぼ同じアプローチをとっていて、それはどうなんだろうと時々夢想する。もっと細く柔らかい声で強勢を減らした歌にしてみたら、ガラッと印象が変わるかもしれない。

ただ、それが難しい事は百も承知ではある。オーソドックスなR&Bサウンドとは異なり、Passionのロックサウンドはトライバルなドラミングが始終鳴り響いているけたたましいものだ。ここで柔らかく歌っても声が音の塊に埋もれてしまうだろう。難しい。

動画サイトには素人による「宇多田歌ってみた」投稿が沢山ある。殆どのものはただのカラオケだが、たまに「ん?」と引っかかるものがある。著作権の問題がある(?)為今迄取り上げた事はないけれど、ある意味様々な歌唱アプローチの実験場でもある訳で、そういった中からPassionなんかに対する"新しいアプローチ"がヒカル本人以外から登場しないか、そんな淡い期待も時々抱くのであった。まぁ、自分で歌ってみればといわれそうですが。言われない? そうだな(笑)。