無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

変化休

前回は、昔の光の喋りはそんなに負荷なくシミュレートできる、昔は随分苦労したのにちょっとは成長したのかな、なんて事を書いた。

しかしよく考えてみれば、たった今現在の光の喋りをシミュレートするのは相変わらず、いや昔以上にずっと難しい。昔の光は、昔であるが故に、過去であるが故にもう描像が確定してしまっていてそれ以上新しい事はない。勿論、当時のインタビューを読み返すなどして新しい発見があった場合は知見が上乗せされより理解が深まる、なんてことはあるだろうけども。

しかし、今の光は今を生きている。日々常に変化の中に身を投じているのだ。しかも、過去の道筋がまるで役に立たない。

普通の、といったら語弊があるが、普通の人は年を重ねるごとに社会的な役割が移り変わり、それに従って人間性も変化していくものだ。父母がやがて祖父母になるとか平社員が役職に昇進するとか選手がコーチになる、といった具合に。

しかし、光の場合そういう決められたルートを通る生き方をしていない為、今どちらを向いているか常に注視しなければいけない。そしてそれと共に、過去の歩みもまるごと頭に入れておかないといけない。何しろ、誰も通った事のない道を通り続けているのだから。

その点を踏まえると、今回の人間活動は実に痛い。次に現れてくれる時にどこらへんに着地しているのか、ただでさえ予測がつかないのにいよいよ予測が不可能になっていくからだ。これまでの蓄積からの断絶みたいなものを、我々は経験する。ひとことでいえば、ひょっこりである。なんのこっちゃ。

それを新鮮と受け止めるか、動揺と躊躇をもって相対するかで随分違ってくる。復帰するとき、いつものように「もう誰も待っていてくれてないかと思った」と言う気がするが(この予測すら既にあやしい)、今までの蓄積を考えると皆が待つのは当たり前の事で、何ら驚くに値しない。

問題は、その時の"今"の光の姿が、皆に受け入れられるかどうかだ。そっちの方がよっぽど切実に怖いだろう。心配するのはそちらである。新しいメッセ、新しいアピアランス、新しい曲。いや次の活動が音楽かどうかもわからないか。作家デビューしてくるかもわからんからね。兎に角、次にマスメディアに登場してきた時に最初に出した"作品"が、どういう事になるか。今の時間に待っている人が居る事より、そちらの方が重要である。

とはいえ、光は過去に"UtaDAから戻ってきた時"にデカい爆弾を投下してそういう事は経験済みである。Be My Lastだ。配信では年間で、何位だっけ、2位とか3位か?を叩き出す程売れたのだが、CDは見事に売れなかった(それでもオリコン1位だけど。比較って怖い)。多分、驚異の返品率だったに違いない。そういう経験が既にあるので、光は次に登場する時も自然体で居られる筈である。そしてそれが、数少ないが私等を捉えて離さない、変わらぬ光の魅力なのだから。