無意識日記々

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6th sense of direction

何故6枚目のオリジナルアルバムを作らずシングルコレクションを制作したのか。時間が足りなかったというのは勿論事実だが、2010年一杯で活動を休止すると決めたのは他ならぬ光自身であって、光がもしオリジナルアルバムを作ると言い出せばEMIは断らなかったのではなかろうか。実際、人間活動に入ると申し出た光にそれなら休止前にシングルコレクションを、と持ち掛けたのはレコード会社側だった筈だ。

で、ここが分岐点なのだが。もしここで光がその(SC2をリリースするという)案を快諾したとしても、何もここまで気合いを入れてもらう必要は、レコード会社側にはなかったのではないか。つまり、そうか宇多田さん休むならこちらで既存音源を使ってコンピレーションを作って場を繋ぎますよ、と最初は思っていたのではないかな。つまり、大体SC1と同じ体裁を想定していた、と。勿論、光が乗り気で新曲からアートワークやら手掛けてくれるのであればそれに越した事はない、とも考えていただろうが。

何しろ、シングルコレクションの付録、オマケにしては新曲5曲が充実し過ぎているのである。当欄で何度も主張してきたように、このクォリティーは過去最高レベルだ。これだけの曲をこの数作れるのであれば、どうせならもう半年〜1年曲を貯めてフルアルバムを作ればよかったのに、と言い出したくなる位の出来なのだ。

ここで、事情をしっかり把握している者ならば、「それはつまり、宇多田光としては今すぐにでもアーティスト活動休止したい、勤続疲労があるから。しかし一方で契約の残るレコード会社に対してもファンに対してもけじめをつけておきたい、そういった気持ちのせめぎ合いの中で、落としどころがちょうど新曲5曲をフィーチャしたシングルコレクションだったのだろう。」と正しく解釈するだろう。その通りだ。光自身も、そう解釈しているだろう。確かに、それならそれでいい。

しかし私は、別の考え方をしている。もし光がこの後も時間をとって、半年、1年と時間を掛けてフルアルバムを制作したとしても、その結果は芳しくなかったのではないかと想定する。この5曲のあと、幾ら音を積み重ねようとも、シングルコレクションに入る曲は結局この5曲であって、他の曲は一般的に宇多田ヒカルに求められているシングル曲クォリティー、或いは彼女に限ってはほぼ同じ意味だがアルバム曲クォリティーに、達する事ができなかったのではないかと思うのだ。

そして、光はそれを本能的に察知してその事態を回避したのではないか。


その辺りの考察は、長くなるのでまた次回。