無意識日記々

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遠い思春期

Single Collection Vol.1の発売から11年。時代の一区切りを印象づける作品だった。"ベスト・アルバム"扱いとはいえ、年間1位を獲得した最後の1枚としての輝きは色褪せない。というか、宇多田ヒカル史上最大のロングセラー作品である。昨年分だったか、新古書店での売上データで図抜けた成績を残していたとの情報もあった。宇多田ヒカルなら取り敢えずこれ、というのは言うに及ばず、「J-popで何か1枚というなら取り敢えずこれ」の域にまで達したアルバムだ。iTunes Storeでも"延々ダラダラ"ランクインし続けている。史上に残る化け物アルバムである。

本人はそういうキャラクターではなかったが、その余りのクォリティーに"一時代を築いてしまった"事は疑いが無く、一方で、ほぼ全く同じ事を成し遂げた母親がその知名度の呪いが如何に厄介なのかを表現し続けた事もあってかなくてかいずれにせよ母親同様その負の面に苦悩し続けた最初の5年をこのアルバムで一旦総括した感がある。

今から振り返ってみると、Vol.2との作品の質の違いは思った以上に大きい。新曲5曲に本人肝いりの装丁など気合いの入りまくったVol.2と、ただ一筆"思春期"とだけ記して殆どタッチしていないVol.1では最早正反対の性質すらある。Utada The Best発売の際同作に「誠意のない作品」という言葉をヒカルは投げかけていたが、それを言うならVol.1だってシングル曲を発売順に並べただけの安直な作品だ、と言う事だって出来る。COLORSは"アルバム"初収録曲ではあったが。

それを考えてしまうと極端に濡れ手に粟なのかとなってしまいそうだが勿論違う。一曲々々を精魂込めて作ってきたから、というただそれだけの事だ。その中で、楽曲をピックアップできる対象期間が他のどのアルバムよりも長かった、だからVol.1は充実した作品になった。それを言うならVol.2は更に充実した作品だが、やはり"思い出とリンクする"という点でVol.1に劣る。いや、そこのところをVol.1がせき止めてしまったと言った方がいいか。

Pop Musicはそこである。如何にヒカルがこの5年でアイデアを書きためていようと、それによって出来上がってくる楽曲のクォリティーが凄まじいものであっても、数多くのリスナーが"その歌のある時代"を長く長く共有できる時間を提供できなければ、Vol.1のような"現象"は起こらない。一度起こせたなら十分過ぎるのだが、長く生きていればまた何度目かの"黄金期"を迎えてしまわないとも限らない。後はもうヒカルのスタンス次第だ。望んだからといって手に入る訳でもなく、望んでもいないのに手に入れてしまう事もある。人生ままならないけれど、それはもう、Vol.1の表紙に書いてある通りなのだった。「点」に本人による訳が載ってるよ。