無意識日記々

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『("あなた"だけが私の親友)』

WINGSで、恐らく当時のパートナーに対して"親友"という言葉を使う事には多くの人が違和感を感じた事だろう。私もそうだ。

この、光による"親友"という語の使い勝手というものを考えてみる必要があるか。

実際の苺みるくは普段ずっと一緒という交友関係ではなく、時折会って友情を確認する、というスタイルだ。こういうのを"スタイル"って言ってほしくないかな。まぁいいや。そういうのとは別に、「いつでも一緒」なタイプの親友同士というのもあるだろう。タイプだとかスタイルだとか呼ばない方がいいかもしれないけど君が好きだ。(全く字数が)

同居しているとなると、そういう感覚が生まれてくるというか、そうなってくるというか、例えば一緒にプロジェクトXのDVDを観ているような関係。いや別にそれって"夫婦"でいいじゃん、と思うけれどももしかしたら光の原風景にそういう"夫婦像"がなかったのかもしれない。要は両親がそういう関係ではなかった、という解釈だ。

そうすると、光の"親友"という言葉遣いの真意が見えてくる。それが彼女の人生にとっていちばん"シックリくる"形容の仕方だったのだ。どうにもそれをただ"夫婦"と呼ぶのがピンと来なかった、そして、自分の人生においてこういう関係性をどう呼んでいたのかな、といえば親友だった、と。

これは更には光がひとりっこであった事も関係しているかもしれない。兄弟姉妹は、毎日顔を合わせたりする。一緒に過ごしたり喧嘩したり。そういう風景も光にはピンとこないのではないか。歌の歌詞においても、兄弟姉妹と思しき関係性を歌った歌は思い付かない。いや元々そういう歌は世間一般でも少ないんだけどね。せいぜい、「今日出会った歳上の人」くらいなもんだ。

こうなってくると、光の歌う"関係性"の雛形というのは恐ろしくシンプルで、独り言を言う場合はくまちゃんになり、周りの人は夫であれ母であれ恋人や親友のように形容し、全世界に語り掛ける時ですらそれはただ"あなた"でしかない。Keep Tryingでそれは顕著だろう。つまり、常にどこでも"一対一"なのだ。最早、相手がどこの誰でも構わない。『(あなただけが私の親友)』とはつまり、特定の誰かを"あなた"と指しているのではなく、総ての"あなた"に対して言っているのだ。光にとって、一対一という基本の基本の関係性を満たしてくれる人が"あなた"
であり"親友"たりえるのである。
そう考えるとますますくまちゃんとの関係の特異性に立ち戻る必要が出てくるがそれはまた次の機会に。