無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"そういうことだったのか。"

誰が鬼門や(笑)

歳を取ると「人生短いなぁ」とよく思うようになる。先月のUNISONICのLIVEで"Life is too short to cry, long enough to try"と叫びながらいい歌詞だなぁとしみじみ思っていた。つまり、トライするチャレンジ精神を失い人生を嘆き悲しむようになると年寄りなのだ。トライできている間は、若い。この時初めて「年齢なんてタダの数字」と嘯けるのである。

Keep Tryin'. もう6年以上も前の曲だが、ヒカルにはまだまだトライしていく精神が備わっている、のハズだ。ただ、今はそれに他者を巻き込む力がない。表舞台から姿を消しているのだから当然だわな。帰ってきた時に今度のヒカルはどんな"トライ"をしてくるか。ちょっとそれについて考えてみたい。

全米進出、世界進出がまぁいちばんのトライだろうが、ヒカルの本来の実力からすれば当たり前の事なので、前々から言っているように精神的肉体的疲弊度に較べて割に合わない印象が強い。全米1位をとっても私なんかもう「そりゃそうだろ」としか言わない。もうあんまりステータスも有難味もない。マスコミがノーベル賞並みに騒いでくれてCDが売れたらまぁいいかな、とは思うかもしれないが。グラミー賞とかも、あれだな、どんなスピーチをしてくれるかには興味あるかな。

もっと音楽的な事かなぁ。ロックバンドを結成するとか…ヒカルと同レベルのアイデアを出せて責任と負担を分担できる人が居なければソロアーティストとバックバンドにしかならず、今とあんまり変わらない。ジャスバンドなら少しは面白そうだが。いやまだフルオーケストラとの共演ってテも残ってるな。Be My Lastでちょっとやったけれども。

うーん、音楽面での"トライ"って、セッティングをすればするほどわざとらしくなってヒカルの自由を制限していく方向にしか進まない気がする。迷走はしないが、寧ろ歩く道の幅を狭めるという感が強い。なるべく自由に、できるだけいきあたりばったりに進むのが、ヒカルの音楽作りには合っている。

となると、ヒカルの"音楽上のトライ"とは、事前にはそれが何であるか察知できない何かであるという結論になる。結実して初めて、それが何にトライしていたかが明らかになる、やっぱりそんな順番なのか。

私がいちばんのトライだと思うのは極めて王道的な事だ。

「どこまで"いい曲"を書き続けられるか」

この1点にのみトライし続けて頂きたい。まとまりのない音楽的変遷も、全米デビューの世間的評価も、体調不良による離脱も離婚もあれもこれも何もかも、結局「次に出た曲が素晴らしかった」という事実によって肯定されてきたのである。果物でいえば「実がなった」、「実った」からこそ人生を肯定できてきたのだ。いやまぢで。あクマで私の中でのヒカルライフに関しての話ですがね。トライして実る。英語でいえばtry and bear。なんだクマじゃないか。そういうことだったのか。クマは人生の肯定そのものなのだ。あらあら。