無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ひとまず関東は台風一過で猛暑日でしたとさ

今日の何が不思議だったかって、傘を持って出掛けなかった事だ。台風だったのに。なのに全く電車が動かず待ち時間暇だったから朝の更新は書けたが、着いたのはお昼を大きく過ぎてからだった。…おっと、日記みたいな事を書いてしまったな。そんな事書いてる場合じゃない。(日記なのに)

TOOLの新譜が初登場全米1位だそうな。これで3作連続No.1。大したもんなんだが、あんなアンキャッチーな音楽を聴く人が何十万人、ひょっとすると何百万人も居るかと思うと変な気持ちになる。それが20年以上続いている(超寡作なのだ彼ら)のだから如何に時代に左右されない音楽性なのかと改めて感心した。

BjorkにせよP.J.Harveyにせよ「売る気あんのかい」と言いたくなる個性的な音楽をやりつつ世界的成功を収めている。ヒカルはそういう道を選ばなかった。好きでPop Musicをやってるのだ。今でも、幾らでも選びようはあるだろうに。

毎度この話をするのは、ヒカルが余り何も考えずに曲を書いたらアンキャッチー極まりないものが出来上がるだろうからだ。好例がインスト曲で、『Gentle Beast Interlude』とかは全然キャッチーじゃない。例えば #i_uta でも紹介したが、40年前のジャンリュック・ポンティのインストアルバムはやはりキャッチーで覚えやすいメロディが基本にあったから全米Top40入りしたわけでそこは歌ものとインストに違いはない。インストになるとそういうアンキャッチーな側面が爆発するのは、ヒカルがいつも「歌ものでは敢えて意識してPopでキャッチーな音楽性にもっていってる」からだろう。

いや、TOOLの連中も「音楽が時代遅れになって受け入れられなくなるのが不安になったからリリースまで13年掛かった」とかインタビューで言っていたからにはリスナーからの反応が怖いしポジティブなのが欲しいのは同じなのだ。要は方法論の話である。ヒカルは自然に任せきるよりある程度人為的に音楽性を操作している。それが私の長年の見立てである。

だからどう、というのは何があるかというと、反対側に堕ちる心配があるからだ。つまり、ヒカルがそういった人為的操作を加えて楽曲を完成させているということは、人為的操作のみで作曲できるかもしれないということ。大昔はそういう音楽を産業ロックとか言ってたものだがそれはさておき、ヒカルがその気になれば「ヒット曲量産体制」にいつでも入れる。そして、こちらの心配を他所に、ヒカルは決してそうはしない。

そこが特異なのだろう。人為的な側面と自発的(spontaneous)な側面の両方が必ずあるのだ。片方を徹底していないからどちらのファンにもアピールしないというリスクはある(アメリカでの『EXODUS』はそうだったのかもしれない─まぁプロモーション不足が主だったのは間違いないだろうが)が、当たれば両方にアピールする。日本でも、まだ徹底されていないのかもしれない。J-popだろ?とハナから聴かない音楽ファンはまだまだ潜んでいそうである。流石にデビュー20年なので国内で耕すのは諦めていいのかもしれないが他の国はまだまだこれからだろう。たまにはマニアックなミニアルバムとか出してみても面白いんじゃないかな~。妙なリミックスが2時間半位入っているような。(それでもミニなのかとツッコんで貰えるように) ちょっと期待したいところではあります。