宇多田共和国@hikkicomによるツイート【今日は何の日宇多田ヒカル】、今朝は1999年のメッセ[4連発]が紹介されている。なるほど、こういうのこそが"Message from Hikki"だったなぁと懐かしくなった。
ヒカルからのメッセージ。シンプルだが、当時はまだまだ革新的で、やっている方も手探り感満載だったかもしれない。今のツイートにはツイートのよさがあるが、メッセージのコーナーも別になくなった訳じゃないのでいつでも気ままに気軽に気兼ねなく書き込んで欲しいものだ。まぁそれには、ファンの方もリプライばかりではなくMail To Hikkiも活用したい所だが。
今はどこへ行ったのやらだが、UtaDAにもそういうシステムはあった。私が正式名称を忘れている位だから存在自体覚えているファンも少ないかもしれない。投稿ごとに通し番号が割り振られていて、恐らく掲示板方式で閲覧できるシステムになっていたと思われる。あれもきっと読んでいてくれたのだろうなぁ。今Twitterではタイ語をはじめとしてこちらからは読めない言語のツイートも見かける。そういった国の熱心なファンが自国語で光にメッセージを送り光が「…わからん。」と言ってディスプレイの前で固まってしまっていたのを想像すると微笑ましい。当時は自動翻訳も今ほど便利ではなかったのだ。
Webではシステムは常に入れ替わってゆく。それで人は入れ替わらないのであれば別に問題はないのだが、現実にはシステム毎に常に人間関係は更新されていっている。ヒカルがTwitterという新たなシステムに乗り込んだお陰で新しく彼女を知る人も増え続けている。ヒカルの言う事が面白いだなんてこちらからすれば太陽が東から登る事位に日常なんだが、そうでない人たちを掘り起こしてくれているのは頼もしい。一方で、この[4連発]のような力のこもった展開をみせる話も書ける事をそういったファンは知らないだろう。いわば、"別に会う必要なんてないのが宇多田"で止まっていて、"だけどそれじゃ苦しくて"に辿り着いていないパターンなのだ。ただ"面白い事を書く/描く"お姐さん、というだけでない一面も持ち合わせている事を知って貰えれば、よりヒカルの歌の魅力についても理解が深まるだろう。
ただ、ヒカルの場合そういったファン層の変化に対応して歌詞の書き方が自然に変化していく事もあるかもしれない。そこらへんがどうなるかは復帰後の展開次第だな。