無意識日記々

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見ていた"ふたり"のずれ具合

『開いたばかりの花が散るのを今年も早いねと残念そうに見ていたあなたはとてもきれいだった』の部分と『開いたばかりの花が散るのを見ていた木立の遣る瀬無き哉』の部分の歌詞の比較をした。今度はこの部分のメロディーの違いを見てみよう。

まず、見てわかるとおり尺が違う。最終部は冒頭部の半分の長さである。恐らく、いままで「尺の異なる歌詞の部分同士の対応」なんて話を書いた覚えがないので、初めての試みかもしれない。

こうやって半分の長さだけを対比させる理由が、メロディーの振り分け方なのだ。

冒頭部の方は

― 開いたばかりの花が散るのを
― 今年も早いねと残念そうに
― 見ていたあなたはとても
― きれいだった

という具合に切る。このうち、『ひらいたばかりの』『ことしもはやいねと』『みていたあなたは』の3ヶ所の8文字ずつは同じメロディーだ。しかし、『はながちるのを』と『ざんねんそうに』『とても』はそれぞれ別のメロディーだ。最後の『きれいだった』に至っては次の『もし今の〜』と繋がっていてまるで別個である。3ヶ所の8文字以外はメロディーを変化させている。

一方最終部は

― 開いたばかりの花が散るのを
― 見ていた木立の遣る瀬無き哉

ともに最後まで同じメロディーを繰り返す。ここがポイントだ。結果的に、まず最終部の一行目『ひらいたばかりのはながちるのを』と冒頭部の一行目『ひらいたばかりのはながちるのを』は歌詞も同じであればメロディーも同じになる。これはいい。次だ。最終部の二行目『みていたこだちのやるせなきかな』とメロディーが同じになるのは冒頭部二行目の『ことしもはやいねとざんねんそうに』の方ではなく、冒頭部三行目の『みていたあなたはとても』の方なのだ。

つまり、歌詞の内容として『見ていたあなた』と『見ていた木立』が丁度対比されるように、メロディーを同じものに揃えてあるのだが方や二行目、方や三行目なのである。この構成が憎い。普通なら歌詞を対比させる場合二行目と二行目同士、三行目と三行目同士を対比させるものなのだが、ここでは違う場所同士を対比させている。その為のメロディー構成が象られているのだ。物凄く地味なポイントだが、こういう所でこそ作詞と作曲の両方を一度に手掛けられる強みが出ているのだと痛感させられるよ。