無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

冷蔵庫にあるもんでご飯を作ろう

TwitterのMyプロフィールに「あるもん食っとけ」と書いてある私。裏を返せばないものは食べられないよ、という事なんだが、Webでいろんな人の発言をみていると、"ないもの"または"あるかないかわからないもの"に対して一生懸命になってる人が沢山居る感じがして怖い。実はそれが私が勝手にそう思ってるだけで実際にはそんな人居ないかもわからないのがもっと怖いけど。

ヒカルの今までの発言を見ていると、タイアップなオファーがあった時に「既にあったアイデア」を使う事が多い事に気づかされる。Flavor Of Life も Beautiful World もそうだ。無い袖は振れない、という事かもしれないが、本来なら相手方の作品のイメージに合わせたアイデアを出そうとする所を、既にその作品に合ったアイデアが手元にあった、という事実は興味深い。どう捉えるべきなのか。

最も単純な正解は、「そういうストックがやまほどある」というものだ。書き溜めたアイデアが膨大な為、どんなオファーが来ても対応する事が出来るという訳。それなら合点がいきやすい。

でも、だとするとその沢山のアイデアを書き溜める為の時間が必要だ。アイデアがいつ思いつくかなんて事前にはわからないのだから。ならば今の人間活動の期間は、その"アイデアを書き溜める時間"としても優秀かもわからない。仕事なのに、という事でもない。新婚旅行中ですら曲を書く為に出先でキーボードを購入してしまう人なのだ。人間活動中かどうかなんて些細な話である。

勿論、意識的にそういった事から離れている、というケースも考えられる。しかし、熊淡を聴く限り、こんな涎を垂らしながら音楽を聴いていそうな人が、いいアイデアが思い付いた時に喜び勇んで書き留める事をしないとは考え難い。今も着々と"将来のタイアップ曲"に活かされるであろうアイデアたちが次々と生まれているのではないか。そう考えるだけでワクワクする。

しかし、いざ「アイデアをまとめてひとつの曲としてリリースできる形態にもっていく」のは骨の折れる仕事であるから、今はしてないと考える方がいいかもしれない。作り始めた曲は必ず完成させる、というのがポリシーだった筈だし、そういう意味においては「曲作り」を本格的に再開させるのはまだまだ先だと思っておいた方がいいだろう。