またくま好きアピールツイートか。しかしなかなかくまちゃんは出てこない。Kuma Changな。不思議というか当然というか。
ラジオのタイトルをKuma Power Hour にしてしまう位だから今でも、いや、あと何十年も(笑)クマ推しで来る事は想像に難くない。他の事は兎も角、クマ愛で他人に負けるのは我慢ならないのではないか。2万通のぬりえくま総てに目を通した根性と愛情の持ち主であり。アイデンティティに直結した愛情はプライドを発生させる。Hikaruに「ちょっとクマ愛が足りないんじゃないの?」とか煽ったら『クマーッ!』と怒り出すに違いない。やんないけど。Hikaruをまぢ切れさせるにはクマを貶すに限る。やんないけど。
最初はKuma Changに対する愛情だったものがいつのまにかスーパークマンズや実在の熊にまで差し向けられるようになった。何というかそこまで行くと食み出し過ぎという感が強くなるが、Hikaruからすれば自然当然というところだろう。「世界全体がクマになればいいのに」位は思っているんじゃないか。全部じゃなく全体な。まぁその違いはいいや。
クマ。こう書くだけでHikaruのテンションは上がる。くま。書くだけで宇多田ヒカルを思い出す。今や宇多田ヒカルといえばくまだ。ラリー遠田の50音今でしょでも「宇多田ヒカルの好きな動物は?」「くまでしょ!」というやりとりになっていた。彼は特にヒカルのファンだったことはないからこれはかなり一般的な感覚とみていい。それくらいくまなHikaruである。
前に指摘した通り「くま」とは「隈」、即ち「陰/影」の事でもある。Hikaruとくまの組み合わせは「光と影」の暗喩だと捉えればわかりやすい。光と影の組み合わせによって世界は完全になるのである。踏み込んで言えば、Hikaruがくまと一体化したい願望というのは「世界になりたい」という究極の欲望の一端なのである。ただこの時、Hikaruに光を与えるのが隈(くま)の方であるという大いなる矛盾がある。その相克が世界だ、と言い切ってしまってもいいがそれでは人生面白くならない。言い切る前に、たっぷりと歌うべき歌があるだろう。
歌う光の救いになったのがくま、という構図は親友によってもたらされたものだ。そういう経緯だったという事実をどう捉えるべきか未だに悩ましいのだが、くまちゃんが来てもう8年目である。あら、もう7歳なのか。いろいろと考える事が出てくるな。いちばん楽しみなのがHikaruがこどもを生んだ後、その子がくまちゃんと邂逅する瞬間だ。一体、どんな会話をするのだろう。そしてそれをHikaruはどう見守るのだろう。くまちゃんがどう喋っているかを教えてくれるのは、相変わらずHikaruになるのだろうかそれともその子になるのだろうか。考えるだけでワクワクするし、と同時に少し、いや大いに怖くもある。くまちゃんの性格は、どうなってしまうのだろう。二人揃ってテレビで水戸黄門を観ている姿をHikkiが後ろからパチリ、とかあるのだろうか。いや今のカメラはシャッター音なんか鳴らないが。いやわざと鳴らすんだっけ。ハイブリッド車じゃあるまいし。
そこまで行くとくまちゃんは宇多田家の守神みたいな存在になっていきそうだ。だからこそ今の消息が知りたいし、我が子にギガントが見つかった時のHikaruの言い訳も楽しみになるというものだ。「あのね、これはね、、、。」