無意識日記々

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Do not Dope it.

最後にすると言っておきながらもう一刺し続けてブーイングを受ける予定通りの流れ。ドラゴンボールは「もうちっとだけ続くんじゃ」から先の方が長かったが私は流石に無理かな…。

最後の最後は「タバコとドーピングの類似性」の話だ。スポーツにおけるドーピングは恐ろしい存在で、金メダルを獲得しても剥奪される強烈な代物である。正直、今や余りにも目の敵にされすぎて「悪いから悪いんだ」と教義的反射的非・思考的な価値判断の元に対ドーピング作戦は遂行されている。今いちど考えてみよう。ドーピングの何が悪いの?

本来なら「選手の健康に悪影響を与えるから」が正しい筈なのに、実際にはただ「ずるいから」でバッシングしているようにしか思えない。大リーグをみればわかる。薬物を使用した人たちの多くはピンピンしているが、彼らは重いと永久追放だ。人生台無しである。一方、あのリーグは報復死球は黙認する。痛いっちゅうねん。怪我するっちゅうねん。何が基準かわかりやすい。要はゲームで卑怯な事する奴に対して他の何やらを差し置いて怒りを全開にしていい文化なのである。あの国が戦争を…長くなるからやめておこう。

タバコに関してはそういう「ずるい、卑怯」という感情は、少なくとも日本では少ない。色々理由はあるが、いちばん大きな理由は、「ルールで許されているから」だ。別に使ってもズルくないのである。ヒカルがスタジオで仕事するにはタバコが不可欠なのでは、と前回書いたが、ルールの有無や是非を別にすれば、タバコを吸って仕事をするのはドーピングしてバッターボックスに立つのと同じである。某かの薬物的なもの(なんだそのしょうもない言い方は)の力を得て活動しようとするのだから。非・喫煙者からしたら「あんなものに頼りやがって」と言いたくなるのが人情である。

ここが、結局分水嶺だ。我々が生きている間はないかもしれないが、いつか喫煙が他の薬物同様法律で禁止される事があるかもしれない。禁酒法を施行した近代国家がかつてあったのだからないとはいえない。今の状況ではまだまだSFだが、殆どそれに近い圧力を感じる。

何が言いたいかといえば、嗜好品に頼る生活は、世間の空気次第では非常におくりづらいものになっていくだろう、という事だ。食べ物でも何でもそうだが、「これがないと生きていけない」ものがあるのなら、それは弱点である。「マネージャーなしじゃ何も出来ないおばさん」は、実は私は居てもいいと思っているが、もしヒカルがそういう人間になりたくない、と思っているのなら《中毒性・依存性の高い嗜好品》は出来るだけ生活から弾き出した方がよい、と私は考える。キーポイントは、中毒性だ。別に、生きていく中で、物事を効率的にこなしていく為には、今自由に手に入るものなら存分に活用すればいいし、それが手に入らなかったら他のもので代用すればいい。しかし、中毒性と依存性はそれを著しく妨げる。あらゆる薬物に共通して厄介なのは「それがないと生きていけない」状態に陥る事だ。もし「人間活動」を通してあらゆる意味で自立していきたいのなら、中毒性の高い嗜好品に頼る生活スタイルは切り捨てていこう。タバコのみならずアルコールも、である。この理屈
でいうならば。まぁ、そこまで堅苦しく考える必要もないと思うんだけどね。人間、弱いなりにのらりくらりと生きていくもんだから。たとえ情けなく、惨めな人生であっても。生命って不思議なのだよ。

以上、重度の宇多田ヒカル中毒患者の執筆でお送り致しました。来週はやっとKuma Power Hour 特集だぜっ! もたもたしてるとすぐにもうEpisode 5だからなっ。