無意識日記々

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じょしもらくじゃねーんだよ

最後に、喫煙行為を擁護する立場から軽く"反論"をしておこう。

皆ヒカルを「歌手」とみて「タバコいくない」と心配しているのだが、歌うという行為はヒカルの中では仕事の一部であり全部ではない。寧ろ時間的な幅でいえば作詞作編曲プロデュースの方がずっとウェイトが大きい。そこを考慮に入れなくてはいけない。

創作活動の大半は苛立ちと怒りである事は16歳の頃からヒカルが言っている事だ。不満点がなくなったら完成なのですぐさまそこから立ち去るのだから当然といえば当然なのだが、故にそのストレスとどう向き合うかが仕事の大半を占めると言っていい。宇多田ヒカルともなればそのプレッシャーは半端なものでは収まらない。彼女が失敗したらレーベルが傾きかけないのだから。ユニバーサルになって、少しはそれも軽くなるかもしれないがね。

スタジオに籠もっている時のヒカルのストレスは相当なもので、暫く経つと表情筋の付き方が変わって人相が違ってしまう程である。あんまりにも行き詰まって仕事中のスタッフに「酒買ってきて」と指示したのは有名な話だ。毎度締め切りに追われるタイトなスケジュールの中、一分一秒でも時間が惜しい時に覚醒作用のある喫煙行為はその簡便さと即効性で抜きん出ている。だからこそ様々な職場で「喫煙しながら仕事」という行為が行われてきたし、実際効果があったのだ。その点を忘れてはいけない。

確かに、歌手活動に喫煙行為は百害あって一理なし、一利あるかないかといったところだが、こと創作活動に関しては百害あっても千利を得られるかもしれないのだ。創作の、逃げ出したくなるような重圧は本人にしかわからない。だからこそ、喫煙行為が必要だというのならばそれを尊重するのが筋であろう。あの素晴らしい楽曲たちは、無数の煙と吸い殻の死屍累々の屍の上に漸く出来上がったものであるかもしれないのだから、その果実を享受している我々もある意味"同罪"であろう。

しかし、そこまで喫煙が必要不可欠であるというのなら、未成年である15〜19歳の間に完成させた「First Love」「Distance」「Deep River」の3枚のアルバムは一体どうやって…ってつまんねーこと訊くなよ!(CV:佐倉綾音)